“分かりやすさ”より大事なものを求めて 綿矢りさが語る、ウォン・カーウァイ監督の独自性
「なんて怖いことをやっているんだろう」
ーー男性同士の恋愛物語である点についてはいかがでしたか? この映画は、昨今増えているLGBT映画の先駆けとも言える一本でもあったわけで。
綿矢:そういう視点で観返そうと思って、このタイミングでまた観直してみたんですけど、世間がどうとか、社会がどうとか、それこそ家族やまわりの人たちがどうっていうことは、この映画では、ほとんど描かれてなくて……本当に2人の物語なんですよね。
ーー確かに。
綿矢:奔放な人と律儀な人という、ものすごく対照的な2人なので、相性的にはホンマは悪いんやろうけど、ついつい一緒にいてしまう感じ……どうにもならない人間同士の関係みたいなものが、ちゃんと描かれていて。トニー・レオンの役のほうは、駆け引きが苦手で、レスリー・チャンの役に振り回されっぱなしだったりして。最初は、「どういう関係なんやろ?」と思って観ていたんですけど、観ているうちに、2人が何で付き合って、何で別れたのか、嫌というほどわかってくる(笑)。
ーー(笑)。
綿矢:そういう意味で、『恋する惑星』のポップさとはまた違った意味で……もっと感情のより深いところで、観る人に大きな影響を与える映画だと思います。
ーーそれこそ、『ムーンライト』(2016年)のバリー・ジェンキンス監督とかも、『ブエノスアイレス』に大きな影響を受けたとか。
綿矢:そうなんですね。『ムーンライト』も大好きな映画です。
ーー最後にもう一本。綿矢さんが、いちばんお好きだという『花様年華』(2000年)ですが……。
綿矢:『花様年華』はどのシーンの完成度もすごくて、大好きですね。あの映画って、「女は隙を与えるけど、男は動けず、女は去る」みたいな「あらすじ」が、字幕で最初に出てくるじゃないですか。で、実際その通りの話(笑)。これは小説を書いていても思うんですけど、これから映画を観る人たち、これから小説を読む人たちに、物語の筋を追わせることなく、最初にあらすじを説明して、それでもあれだけの尺を埋められることに、もう恐怖すら感じるというか(笑)。
ーーどういうことでしょう(笑)。
綿矢:あらすじはもうわかっているのに、それをあれだけ濃密に、観る人を飽きさせることなく長い尺で描くことができるって、「どういうこと?」っていう(笑)。どれだけの印象的なシーンの積み重ねがあったら、あんなものが撮れるんやろって思います。「次はどうなるんだろう?」ってワクワクするような意外な展開とか、物語を加速させる装置を、もうほぼ全部取り払っているわけで。普通の人が「このあと、どうなるんやろ?」って気にして観るところを全部文字だけで説明して、それで一本の映画を撮っているから、なんて怖いことをやっているんだろうと思って。
――「怖い」っていうのが、面白いですね(笑)。
綿矢:(笑)。それを仮に小説でやろうとしたら……短編とかだったら何とか成立するかもしれないですけど、長編でやるのはすごい技術と集中力が必要だと思います。その全部を、詩で埋めていくような感じというか。しかも『恋する惑星』みたいに二部構成にするでもなく、映像の力だけで一本の映画を撮ってしまうところが、ホンマすごいなって思って。しかも、その全部のシーンが、ものすごく綺麗だし。
ーー確かに。でも、カーウァイの映画って、実はそれほど「あらすじ」は重要じゃないというか……「あらすじ」だけ見ても、そんなに面白そうじゃないですよね(笑)。
綿矢:そうかも(笑)。説明みたいなシーンや台詞をほとんど省いて、物語ることを放棄して、エモーショナルな映像だけで全てを表現しようとする。でも、それが不思議な吸引力になっているんですよね。ホンマに説明しいひんから、『花様年華』もやっぱり、いまだに何回観てもわからないシーンとかいっぱいあるんですけど(笑)。
ーーカーウァイの場合、そもそも完成台本を作らないという話もありますし。
綿矢:そうらしいですね。確かに、その場のインスピレーションで撮っているのかなと思うようなシーンが結構あって。でも、そういう場面もすごくいいんですよね。あと、『花様年華』は、「こうだったらいいのにな」みたいな登場人物の夢を表現しているようなシーンが、ときどき入ってくるじゃないですか。あれが、何度観てもよくわからないんですよね(笑)。どこから妄想なのか、その継ぎ目がよくわからないというか、時間の流れもまっすぐではないし……。
ーー確かに。
綿矢:あと私は麻雀のシーンが、すごい好きなんです。主人公の2人が住むアパートの大家さんたちが、よく麻雀を打っていて、そのシーンのあとに見どころのある場面が出てくる。あと、炊飯器ですよね。出張で日本に行った人が、お土産で日本製の炊飯器を買ってきて、みんな「私も欲しい」とか言っているんですけど、不倫で家庭が壊れていくから、その炊飯器が全然活躍しない(笑)。新しい炊飯器があるのに、わざわざ屋台にご飯を買いに行ったりしていて。
ーーそうでしたっけ(笑)。でも、カーウァイの映画は、どの作品も小物の使い方がすごい上手い印象があります。それこそ『ブエノスアイレス』のランプとか。
綿矢:あのランプ、いいですよね。あのランプも、普通のランプじゃなくて、ちょっと走馬灯にも思える、あまり見たことがないようなランプですね。あと、小物と言ったら『花様年華』の部屋履きも、すごい印象的です。日本ではあまり見ないような、すごい刺繍の入った部屋履きで。それをアップで撮ることによって、なんとも言えない寂しさを演出したりして……すごく素敵やなって思います。
ーーなるほど。
綿矢:あとはやっぱり、カーウァイの映画は、音楽がいいんですよね。どの作品も、音楽がすごく印象的な使われ方をしていて。でも、サントラとかが出ていないから、どんな曲が流れていたのか、あとで自分で調べて、その曲が入っている別のCDを買ったり。私は『欲望の翼』で流れるラテン音楽が好きで……。
ーーザビア・クガートですよね。綿矢さんの小説『生のみ生のままで』にも、ザビア・クカードの曲が登場していましたよね。
綿矢:そうなんです(笑)。あと、『花様年華』の挿入歌みたいな感じでラジオから流れてくる「花様的年華」っていう曲も、私は好きで……その曲をYouTubeで探して聴いたりとか。あとは、『恋する惑星』のメインテーマですよね。フェイ・ウォンが歌う「夢中人」っていう曲も、YouTubeで探して聴いたりしていました。あの曲の言葉とか雰囲気が、香港の風景にピッタリ合っていて、すごくいいんですよね。