芳根京子の“生きる”姿から学ぶ社会との繋がり方 『半径5メートル』の題名に込められた思い

 『半径5メートル』(NHK総合)はお仕事ものだけでなく、恋愛ものだけでもない。両方合わせた、生きること(ライフ)をまるっと描いたドラマである。

 主人公・風未香(芳根京子)は週刊「女性ライフ」の記者。まさに「ライフ」を扱っている。最初は芸能人のスクープを扱っている“1折(いちおり)”班に所属していたが、大きな失敗をやらかしたため「2折」に異動した。そこは読者の「半径5メートル」以内の話題を扱っている生活記事専門の部署で、風未香は取材を通して、ライフを見つめていく。2折編集部は殺伐とした1折と雰囲気がまるで違う。編集者たちは1折りのようにガツガツしてなくてゆったりと珈琲を楽しむ時間もある。とはいえ、そこは編集者と記者。それぞれひと癖、ふた癖ありそうな感じ。なかでも人気記事を多く担当ししている宝子(永作博美)は鋭い感性と闊達な行動力を持っていて、風未香は振り回され、影響されていく。

 “半径5メートル”という言葉は「身近」というような意味合い。作家・はあちゅうが2014年、『新世代が解く!ニッポンのジレンマ』(NHK Eテレ)で発言した言葉が反響を呼び、書籍『半径5メートルの野望』にもなった。はあちゅうの考えは個々の半径5メートルは狭くとも、各々のそれが集まると違う世界が見えるのではないかというものであった(参照:wotopi「ネット時代の聖女・伊藤春香(はあちゅう)さんインタビュー」)。

 “半径5メートル”の数値はものを見る尺度として使いやすく、このワードはたちまち広がり多くの人が使っている。ただ、この言葉はもっと前から使われていて、例えば秦万里子の『半径5メートル物語:主婦たちへの応援歌』は2009年に出版され、2005年には『アスリートたちの履歴書 落合博満(中) 半径5メートルの成功法則』という記事(山岡淳一郎/「Business data 20」)のタイトルに使用されている。使いやすいワードなのである。

 身の回りの距離を数値として可視化するといえば、文化人類学者・エドワード・ホールが分類したパーソナル・スペースがお馴染みであろう。「密接距離」(親しい人に許される距離)は0~15cm(近接相)、15~45cm(遠方相)、「個体距離」(相手の表情が読み取れる距離)は45~75cm(近接相)、75~120cm(遠方相)、「社会距離」(相手に手は届きづらいが、会話ができる距離)、1.2~2m(近接相)、2~3.5m(遠方相)、「公衆距離」(複数の相手が見渡せる距離)は3.5~7m(近接相)、7m 以上(遠方相)。こうやって数値化するとコミュニケーションの尺度にできる。ほら、よく、恋愛や仕事のノウハウでこの距離が参考に使われているのを見かけるではないか。パーソナル・スペース的に見れば、“半径5メートル”は公衆距離である。個人が社会と交わる最小限度の距離。つまり、ドラマ『半径5メートル』は風未香個人の仕事や恋のパーソナルな物語ではなく、人間が個人の領域から社会とどう交わっていくかを見つめるドラマなのである。

 社会の物語というと少し堅苦しい印象もあるが、出発点は個人である。ひとりひとりの恋や仕事や生活がある。『半径5メートル』の第1話の題材は主婦の料理。主婦は家族に料理をつくる場合、どこまで手をかけ手を抜いてはいけないのか。レトルトのおでんを買った主婦を非難した“おでんおじさん”をきっかけにおでんを手作りしてみる。宝子はこんにゃくを作るところから突き詰めてみるが……。

 第2話は“出張ホスト”。宝子と風未香が体験取材をして撮った写真の中にデスクの丸山(尾美としのり)の妻(片岡礼子)が写っていた。「ふしだら」では解決のつかない人間の身体の欲望、そして心の問題が浮き上がってくる。

 第3話は“断捨離”。風未香の書いた徹底的に捨てることを奨励した記事に反して、宝子は捨てられないものに眼差しを向け、アンティークの椅子のオークションをはじめる。

 第4話は“SNSのなりすまし”。トランスジェンダーの香織(北村有起哉)は、離婚した妻のところにいる娘(上野鈴華)が心配で別人になりすましてSNSでつながっていたが、会う必要に迫られて風未香になりすましのなりすましを頼む。

 第1~4話まですべて現実でも話題になるようなことばかりが取り上げられている。とりわけ1話はSNSで燃え上がったポテサラ問題を思い出させる。「出張ホスト」に「断捨離」「なりすまし」などは具体的な出来事というよりなにかとSNSをにぎわせるワードである。

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