『イチケイのカラス』第3話は小日向文世にフォーカス “疑う”と“信じる”についての問いかけ
刑事裁判における有罪率が99.9%というのは、それこそ『99.9』(TBS系)というドラマもあったように、いまではかなり高い認知度の情報だ。その理由について法務省のホームページによれば、「的確な証拠によって有罪判決が得られる高度の見込みのある場合に初めて起訴をする」とも明記されているほど。4月19日に放送された『イチケイのカラス』(フジテレビ系)第3話は、そんな高い有罪率のなかで30件もの無罪判決を下したという伝説の裁判官である駒沢(小日向文世)にフォーカスが当たる。彼と入間(竹野内豊)の師弟関係を裏付けるような「真実」への意識とともに、新たな気付きを与えてくれるエピソードであった。
ガラス工房の職人である藤代(岡田義徳)という男は、自身が運営する教室に通う少女・碧(渡邊心結)の母・奈緒(佐津川愛美)に一方的に好意を寄せ、不穏な内容な手紙を送りつけたことから奈緒の夫と口論になり、誤って殺害。その後犯行が発覚するのを恐れて焼却炉で遺体を焼いたことで、重過失致死と死体損壊の罪で起訴されるのだ。その藤代の裁判を合議で担当することになった入間たち。実は藤代は18年前に強盗致死事件で無期懲役が求刑され、当時裁判長を務めた駒沢によって減刑されていた過去があった。自分の判断が誤っていたのかと悩む駒沢だったが、検察から提出された証拠に矛盾があることが発覚。入間はまたしても“職権発動”をし、改めて実況見分を行うことになるのである。
今回のエピソードの冒頭で入間は、唐突にイチケイのメンバーに対してこのような質問を投げかける。「どうしたらなれるのか、アインシュタインに」。そしてヒントとして「裁判官にとって大事なこと」だと付け加えるのである。この答えから先に言ってしまえば、それは「疑う」ということに他ならない。常識を「疑う」ことでいくつもの新たな発見をしたアインシュタイン。裁判官もまた、裁判に持ち寄られた証拠を疑うことで真実にたどり着くことができると意味しているのであろう。それと同時に、このような言葉が劇中には繰り返し登場する。「疑うことは信じること」。
「疑う」と「信じる」は、明確に対義にある。「疑う」という言葉でまず思い浮かぶのは、「無罪推定の原則」であろう。「疑わしきは被告人の利益に」という言葉でも表されるそれは、端的に言えば「被告人が有罪であるという確証がなければ犯罪者になり得ない」ということであり、前述した有罪率の話と通じる部分でもある。しかし起訴された事件にあるべき「確証」に少しでも綻びがあったらどうなるか。それはただ何らかのかたちで「確証」を取り戻す必要が出てくるだけに過ぎない。警察に証拠の開示を求めるシーンで駒沢は「我々は二重の不正義をしてはいけない」と語る。「冤罪を出してはならない」(=疑う)と、「犯罪者を逃してはならない」(=信じる)。つまり刑事裁判官にとって、「疑う」と「信じる」は必ずしも対義ではないというわけだ。