『WAVES』監督の極私的な長編デビュー作 『クリシャ』で自身の家族を起用した理由
シュルツ監督が自分の親戚を出演させてまで本作を作った理由
さて、そんな『クリシャ』だが何を隠そう、シュルツ監督自身の家族をベースに作られ、出演者もほとんどが彼の実の親戚という凄い映画だ。ただ、クリシャが本当のシュルツの母ではない。整理しよう。クリシャはクリシャ・フェアチャイルド本人が演じているが、実際は監督の叔母にあたり、ロビンこそが監督の実の母親である。そしてこの映画に登場した“クリシャ”とは、シュルツ家の二人の依存症者……彼の父と従姉妹のコンビネーション的な存在なのだ。
映画の中で描かれた“クリシャ”とトレイの関係性は、アルコール・ドラッグ依存症を患っていた監督と父の関係であり、その他の感謝祭にやってきて自己破壊的な行動に出てしまった部分は従姉妹(クリシャ・フェアチャイルドにおける姪)がベースになっている。従姉妹も父と同じような依存症を患っていて、5年間もシラフでいられたのに親戚一同の再び会った時に再発してしまい、その1、2カ月後に過剰摂取で亡くなってしまったという。つまり、『クリシャ』はかなりセンシティブな作品なのだ。正直なところ、それを題材にして良く親戚一同が協力してくれたと思ってしまうのも無理はない。しかし、フェアチャイルドはナショナル・パブリック・ラジオでのインタビューでこう語っていた。
「彼(監督)がその出来事を脚本にして書いたと家族に伝えた時、誰からも躊躇の声は上がらず、皆がこの体験を世の中に共有することが正しいことだと感じていました。だって、親戚にたとえこのような人がいても、普通人々はそれを隠すでしょう。それについて話さないようにするんです。ただ、私たちが私たちの家族の物語を語ることで、その人たちが一人ではないと、それが彼らにとっての慰めになるのではと思いました。なので、彼が自分の抱えていた痛みを他者を助ける力に変えたことについても、あまり驚きませんでした。それが彼という人物ですから」
そう、この作品はシュルツ監督自身の祈りであり、その真髄は家族からのバッシングを受ける側の“クリシャ”、つまり依存症に悩まされる黒い羊の視点で描かれていることで、彼女の感じる痛みや苦しみへの共感性を高めていることにある。
“クリシャ”の動揺、それはいくつになっても償うことのできない過去のあやまちと、それ故に失った“母親”という称号への苦しみだ。感謝祭には赤ん坊が出来たばかりの親戚もいて、トレイとの会話がうまくいかなかった場面の後に、一方で子守唄を歌って赤子を寝かしつけようとするヴィッキーの娘オリヴィアが対比的に映されている。そして“クリシャ”の母ビリーが家族一同に愛される存在として、“クリシャ”自身の「自分はダメな方の母親」という影を色濃くしてしまう。その後の作品でも音を印象的に使うシュルツ監督だが、“クリシャ”の心がざわつく場面での不穏なBGMが、よく聴いているとコポコポとワインをグラスに注ぐ音のようなものだったりするのも細かい。
こうして、家族との溝を埋めようと近づくたびに批判的な態度を取られる彼女だが、監督自身がそのクリシャの悲痛さ、息子への後悔と愛を描き尽くすこと自体が、結構泣けるというか感動的に感じる。それはすなわち、父へのレスポンスのようなものだから。シュルツは10年以上も父と会わず、ようやく再会した時は父が癌で死の床についた時だった。しかし父から向けられた愛を理解していなければ、あのような繊細な“クリシャ”の描写はできなかったはずだ。もともと、女優として活動していた叔母に「良い女優だから良い役をあげたい」という気持ちと「初監督作品には家族を出したい」という気持ちから始まった本作は、クリシャを狂気的に描いていながらも恐怖の対象が彼女自身ではなく、依存症そのものであること丁寧に指し示した素晴らしいファミリードラマとなり、カンヌ国際映画祭でも複数部門にノミネートされ、数多くのインディアン映画祭を席巻した。
『クリシャ』が思い出させてくれるクリエイティブの源泉とA24
何より、『クリシャ』を観ていると力強いストーリーテリングは自らの体験や記憶を題材にするのが圧倒的に正解だなと感じる。そして自身の体験の中で最も根強く、多くの意味性を持ち合わせているものが「家族」なのだ。これは物語にとどまらず、全てのクリエーションに通じることだと思う。私的だからこそ、紡げる言葉と写せる情景、描ける人物描写。しかし、最も私的であると同時に誰にでも共通する普遍的なテーマでもあることから、多くの人を共感させるのが「家族」なのだ。加えて、なんとなくではあるがスティーヴン・スピルバーグやティム・バートンしかり、成功ないしは大成しているクリエイターの多くは自身の体験を作品にすることで一種のセラピーのようにしている傾向があるように思える。『クリシャ』のような映画作品は、決して突然見知らぬ男女が恋をしたとか、地球に危機が迫っているといった遠くの話を書き出すのではなく、半径5メートルの物語からはじめることでクリエイティブが広がっていくこと、その重要性を我々に思い出させてくれる。そして、そこにA24は目を付けたのではないだろうか。
この『クリシャ』は元々映画祭用の作品で、監督の才能を買ったスタジオA24がアメリカでの映画権利を買った。スタジオから出資を受けたわけではなく、クラウドファンディングをしていたこともあることから正確には本作はA24作品ではない。しかし、これをきっかけにシュルツ監督は『イット・カムズ・アット・ナイト』や『WAVES/ウェイブス』を同スタジオで作ることになる。
A24は新気鋭監督を発掘する才で業界から一目置かれているスタジオだが、シュルツ監督のように家族など自伝的なテーマの作品をかなり多く扱っている。2020年にアカデミー賞作品賞にノミネートされたリー・アイザック・チョン監督の『ミナリ』をはじめ、ジョー・タルボット監督の『ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ』、ルル・ワン監督の『フェアウェル』、ジョナ・ヒル監督の『mid90s ミッドナインティーズ』、グレタ・ガーウィグの『レディ・バード』、マイク・ミルズの『20センチュリー・ウーマン』など挙げ出すと本当にキリがない(言ってしまえば一応アリ・アスターの『ヘレディタリー』もそう)。どれもが、監督が自身の実体験をベースに半自伝的な作品なのだ。私的であればあるほど、良い。そんな風にクリエイターのバックアップをして、さらなる跳躍を応援するスタジオだからこそ、これまで多くの気鋭監督を育ててこられたのかもしれない。
■アナイス(ANAIS)
映画ライター。幼少期はQueenを聞きながら化石掘りをして過ごした、恐竜とポップカルチャーをこよなく愛するナードなミックス。レビューやコラム、インタビュー記事を執筆する。三度の飯より『ジュラシック・パーク』が大好き。Instagram/Twitter
■公開情報
『クリシャ』
ユーロスペースにて限定公開中
監督・脚本・出演:トレイ・エドワード・シュルツ
出演:クリシャ・フェアチャイルド、ロビン・フェアチャイルド、ビル・ワイズ、クリス・ダベック、オリヴィア・グレース・アップルゲイト
製作:ジャスティン・R・チャン、トレイ・エドワード・シュルツ、ウィルソン・スミス、チェイス・ジョリエット
製作総指揮:ジョナサン・R・チャン、JP・カステル
撮影:ドリュー・ダニエルズ
音楽:ブライアン・マコーマー
配給:グッチーズ・フリースクール
アメリカ/83分/カラー/アメリカン・ビスタ、シネマスコープ、スタンダード/2015年