最悪版『君の名は。』!? 『ザ・スイッチ』の過激な描写の裏にある真っ当なテーマ

 本作もまた、「運動なんて嫌い」と言うミリーが、殺人鬼の姿で詩を諳誦する場面がある。人前で詩を口ずさむ学生がいたら、いまの時代、どれほど同級生たちからバカにされるか分からない。だが、詩に乗せて自分の気持ちを告白することは、能力の面でも性格の面でも、誰もができることではない。周囲を気にして“みんなと同じ”であろうとする学生たちは手にできない魅力を、ミリーは獲得しているのだ。殺人鬼の姿をしたミリーのパフォーマンスは、そんな内面的魅力の象徴である。

 ミリーが口ずさんだ詩は、アメリカの詩人サラ・ティーズデールの作品「I Am Not Yours(私はあなたのものじゃない)」である。その内容を要約すると、“私はあなたのものではなく、ちゃんと理性を持った存在。でもあなたに夢中になってみたいと思ってる”という、愛の告白を繊細な感情とともに表現したものである。1884年生まれのティーズディールが、“あなたのものじゃない”とあらかじめ断っているという現代的な姿勢には驚かされるが、ここにはおそらく、“自分の意志があるからこそあなたを選んだ”という、逆説的な愛情表現も隠されているのではないか。だからこそ、この詩には複数の意味で心を動かされる。

 「私はあなたのものじゃない」……これは、殺人鬼に身体を凶行の道具に使われてしまったミリーの心情としても機能する。そして、そのことを通して、誰かの世話をしたりサポートするためではなく自分の好きなことをするためだけに自分の身体を使いたいという、いま多くの女性が無意識的に、あるいは意識的に望んでいる気持ちの発露にもなっているのではないだろうか。それは『アナと雪の女王』(2013年)において、自分の役割のために能力を隠さざるを得なかった主人公エルサが、「レット・イット・ゴー」の歌唱とともに役割を放棄するシーンの圧倒的なカタルシスの源泉ともなっている。

 ミリーは、父親が亡くなって以来、母親を気遣うあまり積極性を失い、自分のやりたいことを抑えながら生きてきた。だが、巨体の殺人鬼と身体がスイッチすることで、束の間その役割から逃れ、一種の解放感を味わうことになるのである。そして皮肉なことに、殺人鬼が乗り移った方のミリーも、連続殺人という“自分のやりたいこと”に突き進む姿が、ある意味魅力的に輝くことになる。

 しかし、本作が到達するのは、あくまで自分が自分として、自分らしく自由に生きることが素晴らしいという結論だ。もし、そのための力が足りないのであれば、家族や友達、女性同士で連帯する選択肢もある。本作のラストシーンに象徴されるように、本作は過激な描写を含みながら、このような真っ当なテーマを描いているのだ。

 また本作には、『ハロウィン』(1978年)、『シャイニング』(1980年)など様々なホラー映画からのシーンなどの引用が見られる。なかでも、劇中における題字などのデザインや殺人鬼のイメージからも分かる通り、『13日の金曜日』シリーズのパロディーを最もあからさまに行っている。

 『13日の金曜日』(1980年)といえば、“浮かれた若者たちが一人ずつ惨殺されていく”という、アメリカの定番ホラージャンルの成立に最も大きな影響を与えた記念碑的作品だ。その体裁をなぞってみせる本作でのランドン監督の試みは、自身が積み上げてきた作風と、刷新された現代的なテーマをもって、現在の同ジャンルのスタンダードへと合流しようとする意志を感じるものだ。

 同時に、この回帰は1975年生まれのランドン監督の作風のルーツの開示でもあるだろう。いまクリエイターとして脂の乗っている1970年代、80年代生まれのクリエイターが、こぞって80年代、90年代のテイストをとり入れているのが、現在のアメリカ映画の状況なのだ。

■小野寺系(k.onodera)
映画評論家。映画仙人を目指し、作品に合わせ様々な角度から深く映画を語る。やくざ映画上映館にひとり置き去りにされた幼少時代を持つ。Twitter映画批評サイト

■公開情報
『ザ・スイッチ』
全国公開中
監督:クリストファー・ランドン
製作:ジェイソン・ブラムほか
出演:ヴィンス・ヴォーン、キャスリン・ニュートン、アラン・ラックほか
配給:東宝東和
(c)2020 UNIVERSAL STUDIOS
公式サイト:theswitch-movie.jp
公式Twitter:https://twitter.com/uni_horror

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