「荘子itは電気蝶の夢から覚めるが」vol.1

荘子itによる批評連載スタート 第1回:『Mank/マンク』から“名が持つ力“を考える

 ここでさらに別の観点で柄谷の固有名論に批判的検討を試みた議論を参照する。在野研究家の荒木優太は、文芸誌『しししし』(『草獅子』から改名)で連載された論考『柄谷行人と埴谷雄高』の中で、柄谷的な「歴史」ではなく、かといって東的な「二次創作」的な想像力に力点を置くのでもない形で、オルタナティブな議論を展開している。それは、「固有名」が様々な「別の固有名」に派生すること、即ち「異名」についてである。

 マリオンとの出会いのシーンで、彼女はマンクをハーマンという彼のファーストネームで呼ぼうとするが、彼は自分をマンクと呼ばせる。

「Mr. Mankiewicz. Or shall I call you “Herman”?」
「No, please call me “Mank”.」

 「Mank/マンク」とは、「Herman J. Mankiewicz/ハーマン・マンキーウィッツ」という名前のファミリーネームからとった「異名」である。むろん「オルガン弾きのモンキー」にかかっていて、ラストで自らを「自分で作った罠にかかったネズミ」、「逃げ出せないように自分で定期的に罠を修理してる」というマンクを象徴したアイロニカルなあだ名として受け取ることができるだろう。そのように理解すれば、マンクは基本的に負け犬であり、『Mank』は、持たざる者が権力者にわずかな一撃を食らわせ、自らの最高傑作のクレジットという形で映画史にかろうじてその名を刻んだという一点を示すに過ぎない。

 だがそうではなく、「異名」とは、「固有名」が形成する大きな歴史や物語から見落とされ、忘れられていく「名の私生児」であり、『Mank』はそのようなヴァルネラビリティを伴った実存に徹底的に寄り添おうとした作品である。複数に派生する「固有名」とも言うべき「異名」は、「教えるー学ぶ」の伝達経路からして、「父ー子」や「教師ー教え子」のようなトップダウンの非対称性の形を取らず(かといって反転したボトムアップの形をとるわけでもなく)、“please call me Mank”のような水平なコミュニケーションによって、ある主体の意固地さによる非対称性を通して伝達される。

 映画用に創作された人物であるシェリー・メトカーフの悲惨な事件によって、「覚醒」したドラマティックな瞬間に力点を置く読みでは見落としてしまうものとは何か。酩酊を繰り返しては、毎度ハッと「起床」するマンクの人生を、特異点ではなく、ある時間の幅を持った線の持続として示そうとしたところが本作の多義的な魅力である。ある人間の実存に真摯に寄り添って描くにあたって、その人生全体に対して肯定的であったり否定的であったりすることはできない。

 ところで、本作には本来マンクと呼ばれる権利を持つはずの人物がもう一人登場する。史実においては、マンクよりはるかに「有名」である、ジョセフ・L・マンキーウィッツだ。彼は、劇中で描かれた物語の後、1949年と1950年の2年連続で監督賞と脚色賞を受賞する巨匠となる。ところが、『Mank』の序盤から中盤にかけては、マンクから「お前は俺の弟だから才能があると思われてる」と言われ、ファーミリーネームにちなんだ愛称は兄のもので、「ジョー」というファーストネームからとったあだ名で呼ばれている。だが最後にはマンクから、「マンキーウィッツという鳥だ」と呼ばれる。速記者のリタとマンクの会話だ。

 「A rare bird thatー」
「ーa Mankiewicz.」

 猿やネズミと違って飛べる彼は、その後マンクを遥か越えて「飛翔」し、「マンキーウィッツ」という名を特権的なものとして轟かせることになる。だが、繰り返し述べてきたように、あくまで『Mank』という作品は、飛べない方のマンキーウィッツについての映画であることによって、「マンキーウィッツ」という「固有名」ではない、「マンク」という「異名」を掬い上げるものとして、彼の人生の一点における「覚醒」ではなく、線的持続として繰り返される「起床」の有り様に寄り添って語られねばならない。

4.次回予告

 今回は連載第1回として、『Mank』を足掛かりに、名が持つ力について書いた。荘子itという名やこの連載タイトル自体が、「固有名」をズラすことで生み出されたものであり、そのような名を弄ぶ想像力の根幹となっている思想を示した。次回からはより具体的に作品内在的に語り、様々な「起床」を試みていきたい。

■荘子it
1993年生。2019年に1st Album『Dos City』で米LAのDeathbomb ArcからデビューしたHip HopクルーDos Monosを率い、全曲のトラックとラップを担当。民族音楽やフリージャズ、哲学やサブカルチャーまで奔放なサンプリングテクニックで現代のビートミュージックへ昇華したスタイルが特徴。様々なアーティストへの楽曲提供に加え、ドラマ、映画の劇伴音楽、エッセイや映画評執筆など、越境的に活動している。
2020年3〜4月にかけてアメリカツアーを予定していたが、直前でコロナにより中止。その後、台湾のIT大臣オードリー・タンfeaturing曲等、精力的に楽曲をリリースし、7月24日に2nd Album 『Dos Siki』をリリースした。Twitter

■配信情報
Netflix映画『Mank/マンク』
Netflixにて独占配信中
監督:デヴィッド・フィンチャー
出演:ゲイリー・オールドマン、アマンダ・セイフライド、リリー・コリンズ、チャールズ・ダンス、タペンス・ミドルトン、トム・ペルフリー、トム・バーク
公式サイト:mank-movie.com

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