『麒麟がくる』本能寺の変まであと5年 長谷川博己と染谷将太が残す“言葉”と“顔”

 残すところあと4回の放送となった長谷川博己演じる明智光秀の生涯を描いた大河ドラマ『麒麟がくる』(NHK総合)。最大の山場である「本能寺の変」を前に、これまでの光秀と染谷将太扮する織田信長との関係性のなかから、二人の芝居の凄みを見ていきたい。

 本作のタイトル『麒麟がくる』にある“麒麟”とは、乱世が穏やかになったとき、世を収めた王のもとにやってくる霊獣だという。光秀は明智十兵衛と名乗る物語の序盤から、穏やかな世を心から願っており、それは仕えていた斎藤道三(本木雅弘)はもちろん、その後に出会う人々に対しても同じような期待を持っていた。

 こうした考えは、光秀に限ったことではなく、道三をはじめ多くの武将たちも心の底では、戦いのない泰平の世の到来を願っているという描写は、ところどころに出てくる。

 そんななか、光秀は道三の娘、帰蝶(川口春奈)が尾張・織田家に嫁ぐことになったことから信長という男と出会う。親近感と狂気性という多面的な信長に不気味さを感じる光秀だったが、道三が言った「大きな国」を作れば争いはなくなると考えていた光秀は、桶狭間の戦いで今川義元(片岡愛之助)を破った信長にその力があるとおぼろげに感じる。つまり、光秀にとって信長は“平和な世を作れる可能性のある救世主”というわけだ。

 一方、信長の行動の多くは、承認欲求によって突き動かされている。そこには幼少期から母・土田御前(檀れい)に疎まれ、弟・信勝(木村了)ばかりを寵愛する姿を見て「褒められたい」「認められたい」という思いが人一倍強くなっている。帰蝶との関係性も“褒めてくれる母”のような存在として、やや過剰に敬っている部分があり、その帰蝶が絶大な信頼を置いている光秀は、自然と信長にとっても大きな存在になっている。

 ことあるごとに光秀に意見を求める信長。そして光秀の助言がことごとく功を奏するため、ときが経てば経つほど、光秀に対する信頼感は増してくる。癇癪持ちとして知られ、残虐なエピソードも多く語られる信長だが、光秀に対しては、とにかく特別感が溢れている。普通なら酷い仕打ちを受け兼ねないような場面でも、基本的には寛大な対応をする。

 例えば、第25回「羽運ぶ蟻(あり)」で、信長は光秀に「十兵衛、わしに使える気はないか?」と誘うが、光秀はやんわりとその意思がないことを伝える。さらに第27回「宗久の約束」でも、再度信長は光秀に対して「義昭さま(滝藤賢一)のおそばに仕えるのか、それともわしの家臣となるのか」と決断を迫る。

 その際もはっきり光秀は「将軍のおそばに参ります」と即答。信長は「残念だが、分かった。以後そのように扱う」とやや冷淡な一面を見せつつも、その後、光秀への対応が厳しくなることもなかった。

 さらに第34回「焼討ちの代償」では、光秀が信長の命に反して比叡山焼討ちの際に、女子供を見逃したことを謝罪すると、信長は眼光鋭く「それは、聞かぬことにしておこう。他の者ならその首跳ねてくれるところじゃ」と言葉として語ったように、信長にとって光秀は特別な存在であることが分かる。

 そして第38回「丹波攻略命令」では、美濃から光秀に助けを求めてきた斎藤利三の処遇について、信長から助けるなというお達しが出ると、光秀はキッパリと拒絶し、将軍・足利義昭や幕臣・三淵藤英(谷原章介)に対する冷遇を責める。光秀に甘い信長もさすがに「帰れ!」と怒号を飛ばすが、すぐさま「呼び戻せ」と家臣に命じ、丹波平定を条件に、光秀が命令を拒否したことは不問にした。

 しかし、軸となる信頼は変わっていないものの、特別な存在と思っている光秀に対して、少しずつ信長の表情に変化は見られる。最初に家臣になる話を断った際は、本当に残念そうだったが、2度目のときは自分に従わないことへの不満が、そして比叡山焼討ちの際には、確実に光秀に対して、負の感情が見てとれた。

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