『朝が来る』井浦新インタビュー

井浦新「こんなふうに映画作りができたら本当に幸せ」 河瀬直美監督の“演出”を語る

 「特別養子縁組」という制度をどれだけの人が知っているだろうか。実親が子供を育てることが非常に難しい場合に、子供の福祉を守ることを目的に成立した制度だ。「普通養子縁組」と違い、戸籍上も実の親子として表記される。日本で1年間に成立している件数は約500件。ヨーロッパの経済大国と比べると、その数は約10分の1だという。

 『朝が来る』は、そんな「特別養子縁組」によって繋がった2つの家族を描いた物語だ。辻村深月の同名小説を映画化したのは河瀬直美監督。生きることとは何か、家族とは何なのか、目をそむけてはいけない現実を本作は突きつけてくる。

 リアルサウンド映画部では、「特別養子縁組」の制度によって親となる栗原清和を演じた井浦新にインタビュー。初の“河瀬組”で感じたことから、妻・佐都子を演じた永作博美との撮影の裏側まで、じっくり話を聞いた。【インタビューの最後にチェキプレゼントあり】

役作りではなく“役積み”

ーートリッキーな役柄を演じることも多い井浦さんですが、本作で演じた清和はいつもよりかなり等身大の役柄のように感じました。

井浦新(以下、井浦):確かに結婚して子供がいるという“外側”の部分に関しては清和と近いものがあったかもしれません。でも、“内側”の部分に関しては、自分自身が抱えているものとは大きく違い、想像もできないほどの辛い現実が清和にはありました。お話をいただいたときは、清和になることができるのかという不安もありましたし、覚悟が必要だなと感じました。

ーーそこから清和になるためにどんなアプローチをされたのでしょうか?

井浦:河瀬監督の現場では、クランクインまでに“役積み”という作業があるんです。これは“役作り”とはまた違って、与えられた役の仕事ーー今回で言えば、清和は建築会社でどんな役職であるのか、どんな仕事をしているのかなど、映像としては映さない部分を、一日かけて学びに行くんです。清和と佐都子の会話の中で、「宇都宮で食べた餃子」という言葉があるのですが、実際に河瀬監督と永作(博美)さんと食べにも行っているんです。ほかにも、実際に特別養子縁組によって家族になった方にお話を伺ったり、佐都子とデートをしたり、清和と同じ経験を撮影前の段階で積み重ねていきました。もうひとつ、大きかったのが完全な“順撮り”での撮影です。多くの作品では、劇中の日時が違っても同じ場所であれば、まとめて撮ってしまうことがほとんどです。作品によって予算も違いますし、それが決して悪いわけではありません。ただ、どうしてもそこには“計算”が必要となってしまいます。河瀬組ではその計算が一切ないんです。本当に台本の時系列順に撮っていくので、ワンシーンワンシーン演じるごとに、そこで感じたものを次のシーンで生かすことができる。清和と佐都子が子供を作ろうと決めた。でも、なかなかできずに病院に行ってみたら、清和が「無精子症」だとわかった。それでも不妊治療を続けた。治療を諦めてベビーバトンの説明会に行った。朝斗を迎えて3人での生活が始まった……とこの一連の流れを清和として逆算することなく体験することができたのは、本当に大きかったです。集中して芝居をする、台詞を完璧に覚える、それだけでは絶対にできないものでした。

ーー不妊治療中、清和が佐都子に本心を伝える空港のシーンは胸打たれるものがありました。

井浦:ありがとうございます。このシーンを最初に撮るとなっていたら、絶対に完成した映像のようにはできなかったと思います。できたとしても、それはあくまで“お芝居”の域で。河瀬監督が目指しているのは、俳優が河瀬組の中で“どう生きているか”なんです。

ーー河瀬組だからこそ表現できた“リアル”が詰まっていると。

井浦:河瀬監督が作り上げる現場には嘘がないんです。映画は虚構の世界であり、監督、スタッフ、キャスト全員で台本にある世界を作り上げていくものです。でも、河瀬監督の現場は、虚構が現実になっていってしまう不思議な空間で。これまでの河瀬監督作品もそうですが、映画を観ているというよりも誰かの生活を覗き見しているような感覚になるんですね。河瀬監督は映画作りに対する純度がとにかく高い。だから俳優部も芝居を超えて、その役として生きている感覚になることができる。こんなふうに映画作りができたら本当に幸せだなと思う現場でした。

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