【ネタバレあり】『MIU404』を特別なドラマにした“失われた夏” 久住の存在が暗示したもの

 0(ゼロ)――。

 それを「すべてを失った」とするか、「スタート地点」ととるか。私たちの人生は、そんな小さな選択の連続で作られている。

 金曜ドラマ『MIU404』(TBS系)が最終回を迎えた。オンエアのラストまで伏せられていたサブタイトル《 》の中に入る言葉は《 0(ゼロ) 》だった。東京オリンピックが開催されるはずだった、2020年夏。本来であれば様々なドラマが生まれたであろう新国立競技場の、“0”の形をした屋根と共に締めくくられる。

 あるはずだった、夏がなくなった。夢の舞台も、青春も、人生の節目となる式も、そしてエンターテインメントも……みんなウイルスが飲み込んだ。全世界を巻き込んで変わってしまった世界線が、この『MIU404』を特別なドラマにした。私たちが「ここからだ」と思える希望のドラマに。

ウイルスとの闘いを見ているような404VS久住

 最終回の見どころは、なんといっても伊吹(綾野剛)、志摩(星野源)、そして久住(菅田将暉)の魂をぶつけ合うような熱演だった。顔の見えない敵だった久住と対峙した伊吹と志摩。その眼光で、言葉で、お互いの心臓を突き合う。それは銃口を向け合うよりも、ずっと緊張感溢れるやり取りだった。

 久住の言い分は、ある意味で正論だ。「俺は大したこと何もしとらん。作りたい奴がクスリを作って、使いたい奴が使って、人形になりたい奴がなった」。久住のうまいところは、相手にそうしたいと思わせる、あるいはそうせざるを得ないと思いこませる状況を作っただけで、最終的な判断はその人自身に任せているところ。

 そして、恐ろしいことに「目的なんてないよ」と言い放つ。「アホが“ワーワー”やっとんの、高いところから見るだけ。ドラッグやらんでも気持ちよくなれる」と不敵に笑う。それは、まるで人体を蝕むウイルスの言い分を聞いているようだ。

 久住の手法は、人の心(細胞)に侵入し、次々と被害者を加害者に(苦しみを連鎖)させていく。やがて、免疫システム(人々の良心や警察組織)を暴走させ、多臓器不全(社会の崩壊)を招き、人びとは死に至らしめる。悪とは、自由な未来を奪うこと。人を殺してはいけないのも、人の権利を侵害するのも、社会のルールを破ってはいけないのも、全てはこの世界の自由を奪う行為だから。

 だが、ウイルスには意志がない。自由を求めることも、その先にある未来も望まない。宿り主がいるかぎり繁殖するが、宿り主が死滅してしまえば生き延びることができない。それは目的もなく人々を混乱させ、社会が崩壊したら生きていけない久住も一緒だ。この目に見えないけれど、確実にある小さな悪を、捕まえることも、罰することもできない。それが、姿なき敵と闘う難しさだ。

 伊吹と志摩も、久住に翻弄されるうちに、相手を、そして自分自身を、段々と信じられなくなっていく。ガマさん(小日向文世)の「どうしても許せない」苦しみの連鎖に囚われそうになる伊吹。正しいことをしていては久住を捕まえられないと元相棒・香坂(村上虹郎)のように暴走する志摩。やがて、2人の絆まで侵食され、単独行動へと繰り出す。

 自分が渦中にいると、なかなか見極められないスイッチだが、彼らを見てると最悪な道へのスイッチは「孤独」を呼ぶことがわかる。人を寄せ付けなくなったときこそ、危うい。それは、人と離れなければならなくなった今の社会の脆さにも投影できるのではないだろうか。孤独で心細くなったときこそ、そっと久住が近寄って「俺と組まへん?」とつぶやくのだ。