『だれもが愛しいチャンピオン』インタビュー

ハビエル・フェセル監督が語る、『だれもが愛しいチャンピオン』の役者たちが持つユーモア

 第33回ゴヤ賞で作品賞を含む3部門を制した『だれもが愛しいチャンピオン』が12月27日より公開される。本作は、実際に障がいを持つ600人の中からオーディションで選ばれた10名の“俳優”が出演し、プロのバスケットボールコーチとハンディキャップチーム“アミーゴス”の出会いと絆を描く物語。

 バスケットボールのコーチ、マルコは“負ける”ことが大嫌いなアラフォー男。ところが短気な性格が災いして問題を起こし、チームを解雇された挙句、知的障がい者のバスケットボールチーム“アミーゴス”を指導するはめに。アミーゴスの自由過ぎる言動にはじめは困惑するマルコだったが、彼らの純粋さ、情熱、豊かなユーモアに触れて一念発起、全国大会でまさかの快進撃を見せる。

 先月に来日を果たしたハビエル・フェセル監督にインタビューし、本作への思いを語ってもらった。

「ユーモアは彼らの世界を見るための柱」


ーー監督がこの作品を作る上で1番大事にしたことは何でしょうか。

ハビエル・フェセル(以下、フェセル):知的障がいの方たちと一緒に映画を撮ることで、その人たちの本当にリアルな姿というのを出すこと、それが今回の挑戦だったよ。アミーゴスのみんなは、大半は自分自身を演じているというか、演じるというよりもそのままなんだ。みんなプロの役者ではないから、監督としてみんなが家にいるように自由に表現できるように、そこで面白いものが出てきたらそれを取り入れられるようにした。常に自分たちの映画だと思ってもらえるような環境を作りたくて、それがどんどん膨らんでいくのが、僕自身すごく楽しかった。

ーー難しい題材を笑いに変える、度胸がいる挑戦だと思いました。

フェセル:僕にとっては難しいテーマではなかったね。周りからは、こんな繊細なテーマをやるのはどうなんだとか、作っても観客に違う解釈を持たれるんじゃないかと心配されたけど、この脚本とこの人たちと会ったことで、楽しくて面白い、感動できる映画を作れると思ったから、正しいどうかとか、そういう迷いはまったくなかったよ。

ーーそれはなぜでしょう?

フェセル:彼ら自身が失敗を恐れなかったからだね。普通は、みんな自分がどう見えるか考えて失敗を恐れるけれど、彼らにとっては、やってみて「失敗だったかー」っていうだけの話なんだ。その考えは自分自身を尊重することだと考えさせられたし、そういう思いがあれば、間違った方向には行かないと思ったよ。

ーーアミーゴスのメンバーを決める際に初めてたくさんの候補者と会ったときはどう感じましたか?

フェセル:こんなに魅力的な人たちがいるのかと非常にワクワクしたね。と同時に、彼らの感情や姿勢を何の偽りもなく出していくことへの責任を感じたよ。彼らの中にあるデリケートさ、優しさ、ユーモアをどう引き出すかは自分にかかっているなと。

ーー監督が現場で驚いた俳優たちの反応などはあったのでしょうか。

フェセル:それぞれのシークエンスを撮っているとき、彼らにとってはおそらくすごく驚いたり怖かったりしたことがあったと思うんだ。けれど、それが終わったら次、次と毎日毎日ワクワクしながら現場に来るんだよ。それで自分も一緒にワクワクできた。エレベーターで閉じ込められるシーンの時は、閉所恐怖症の人もいて本当にパニックになってしまっている。でもそれが終わったら、じゃあ次バスのシーン行こうかみたいな感じで自分たちから行っちゃうからね(笑)。次から次へとワクワクしながら挑んでいくんだ。

ーー障がいの部分を笑いに変えてしまうパートがいくつもあって、そのユーモアを引き出す演出に驚きました。

フェセル:ユーモアの要素は彼らに元々備わっているものなんだ。ユーモアっていうのは、彼らの世界を見るための柱なんだよ。彼らの視点は何を見るにしても非常にポジティブだし、期待感に溢れて全てにワクワクしているんだ。彼らが持っているのはとても普遍的なユーモアだし、この映画の公開が地球を半分くらい回って分かったけれど、みんな心から楽しい顔を見るのがやっぱり楽しいんだよね。メンバーの一人であるセルヒオ(・オルモス)に「この映画は楽しかったですか?」とインタビューした新聞記者がいて「もちろん楽しかったよ」と答えた。「なぜですか?」と聞いたら、「楽しかったんじゃなければ楽しくなかったんだろうから」と返答をしたんだ。別に楽しくないことが悪いこととかそういうことではなくて、視点が違うからこそ、笑えるところがあったんだと思うよ。

関連記事