伊藤健太郎×玉城ティナ『惡の華』は誰もが共感できる“青春映画”に 浮かび上がる名作との共通項

『惡の華』は共感を呼ぶ“青春映画”に

 春日と仲村が、他に誰もいない教室のなかで狂態を繰り広げるシーンは、同じく相米監督の『台風クラブ』(1985年)の刹那的な表現に通じているところがある。学校を破壊するという一種のテロ行為は、大人のルールのなかで生きたくないという願望の発露でもある。

 倫理から逸脱した反社会的行動に走るという部分では、古くは三島由紀夫の小説『金閣寺』を映画化し、歴史的な建造物を燃やすという行為に純粋な若者の想いを重ねた市川崑監督の『炎上』(1958年)があった。本作にもやはり“炎上”する場面があるのが興味深い。その意味で、若者の社会への嫌悪ややりきれない想いが暴発していく『青春の殺人者』(1976年)や『十九歳の地図』(1979年)、『太陽を盗んだ男』(1979年)などの系譜にも本作はつながる。

 そして、青春時代にお別れを告げる切ない場面では、『真夜中のカーボーイ』(1969年)や『サタデー・ナイト・フィーバー』(1977年)、『ブギーナイツ』(1997年)などの、アメリカの名作青春映画を想起させられるのだ。

 一見、アブノーマルな趣味を愛する特殊な少年の“理解しづらい”物語だという印象があるかもしれない本作は、このような視点で見ると、普遍的な青春映画の流れに沿った作品だといえよう。

 近年は、「中二病」「黒歴史」といった言葉がよく使われているように、損得を無視した若い時代の純粋な気持ちを、「それに何の意味があるの?」と、バカにする風潮があるように思える。しかし、それらをみんなが排除していった先には、個性が欠如した、既存の権力やルールに従順な社会が残るだけである。

 生活の問題などから、いつかは社会と折り合いをつけなければならないとしても、一度は“青春”という名の狂気に身をゆだねることも、人生には必要なのではないだろうか。そして、そんな青春を過ごした覚えのある人々にとって、本作で描かれるすべては、純粋な気持ちを持った当時の自分を思い出させることになるだろう。本作はそんな時代の自分から、いまの自分への復讐でもあるのかもしれない。

■小野寺系(k.onodera)
映画評論家。映画仙人を目指し、作品に合わせ様々な角度から深く映画を語る。やくざ映画上映館にひとり置き去りにされた幼少時代を持つ。Twitter映画批評サイト

■公開情報
『惡の華』
TOHOシネマズ 日比谷ほか全国公開中
監督:井口昇
脚本:岡田麿里
原作:押見修造『惡の華』(講談社刊)
出演:伊藤健太郎、玉城ティナ、秋田汐梨、飯豊まりえ 
製作:ハピネット、NTTぷらら、ファントム・フィルム、角川大映スタジオ
製作幹事:ハピネット
共同幹事:NTTぷらら
製作プロダクション:角川大映スタジオ
配給・宣伝:ファントム・フィルム
(c)押見修造/講談社(c)2019映画『惡の華』製作委員会
公式サイト:akunohana-movie.jp

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