高橋一生と中村倫也が繰り出す、異なるアプローチ 『凪のお暇』で生まれた相乗効果

 一人の女性を翻弄する、“二人の男”ーー『凪のお暇』(TBS系)にて、息苦しい社会生活から抜け出し、いま一度、自分自身を見つめ直そうともがく主人公・大島凪(黒木華)に対する我聞慎二(高橋一生)と安良城ゴン(中村倫也)のことである。彼らを演じる高橋、中村の両者とも、得がたいバイプレイヤーとして名高い二人だが、観る者によっては、ついに念願の真っ向勝負が実現しているというところではないだろうか。

 彼らが演じているのは、どちらも掴みどころのない変わり者だ。高橋が演じる我聞は、凪の元・恋人。OL時代の職場の同僚でもあり、バリバリに仕事ができ、みなから愛される好人物である。しかし、それは表の顔。その場の空気を読むのが非常に上手く、瞬間ごとに最も適した発言や振る舞いを、全て計算ずくでやってのける男なのだ。つまりこの、常に人前で“演じている”ことに自覚的な人物を、高橋は演じているということになる。これは“演技内演技”とでも呼べるものだろう。彼のハツラツとした表情と言葉の中には、少しばかり(ときに大胆に)陰りが見て取れる。

 例えば私たちの日常生活において、内面は怒りで満ちているのにもかかわらず、体裁を意識して笑顔を作ろうとした時に、それがどこか居心地の悪いものになることは想像がつく。しかしそうせざるを得ない局面だらけなのが、社会生活を送るということであるとも言える。高橋はこの内面と外面とを切り離し、自ら生み出した“ズレ”をコントロールしているわけだが、これが高等なテクニックを要することは、演技経験のない方であっても思い至るのは先に例を述べたとおりである。劇中では器用に立ち回る我聞だが、彼の実情を知っている私たち視聴者からすれば、肩の力を抜いて生きることのできない、不器用な“変わり者”なのである。

 一方、中村が演じるゴンは、非常に気の抜けた、ありのままに生きるマイペースな男である。高橋の技巧的な演技に対し、彼の役へのアプローチは自然体だ。もちろん、中村倫也という一人の人間の、“素”の状態を私たちは知っているわけではない。だが、タイトルロールを演じた実写版『アラジン』で披露した甘い声や、柔和な笑顔といった、中村自らの“素材”を活かしたキャラクター作りであることは分かるだろう。

 ヒロインの凪は我聞と同じく、内面と外面の“ズレ”に自覚的な人物であり、それを呪縛のように感じさせる社会からの解放を願っている存在だ。こんな彼女にとって、ゴンとはまさに肩の力を抜いて接することのできる、人間としても男性としても理想的な人物なのである。演じる中村の、ゆったりとした伸びやかな発語や、浮遊感さえ感じてしまう一挙一動には、観ているこちらもついまどろんでしまうほどだ。ゴンは我聞とはまた異なった、“変わり者”なのである。

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