『火口のふたり』と『天気の子』に共通点!? 人新世を生きる我々に突き付けられたリアル
この映画を観終えたあと、正直なところ、少し困惑したことを覚えている。や、映画としては、とても素晴らしかった。とりわけ、ほぼ“出ずっぱり”と言ってもいい主演の2人の演技には、非常に心打たれるものがあった。その“あらすじ”はこうだ。兄妹同然に育った幼なじみの女・直子の結婚式に出席するため、久しぶりに故郷へ帰ってきた男・賢治。彼女と彼のあいだには、他の誰も知らない、ある“過去”があった。結婚式を間近に控えた女は男に言う。「今夜だけ、あの頃に戻ってみない?」。どうもこのご時世、この手の話に少々過敏になっているところがあるのかもしれない。ともすれば、“男の幻想”とも取られかねないそのような物語を、若い役者の身体を使ってこのような形で表現していいものなのか。それが自分の“困惑”の正体だった。しかし、結論から先に言うならば、別に良いのだ。「映画は学校の教科書ではない」のだから。
58年生まれの直木賞作家・白石一文の小説を、47年生まれの脚本家・荒井晴彦が脚本化し、自ら監督を務めた映画『火口のふたり』。登場人物は、先ほど書いたように、ほぼ2人だけ。しかも、その大半のシーンが、いわゆる“濡れ場”と“食事”のシーン”のみという徹底したスタイルで描き出された本作は、作り手たちの言葉を借りるならば、“身体の言い分”というものが、ひとつ大きなテーマとなっている。実際、映画の公式サイトに掲載されている著者・白石との対談のなかで、監督・荒井は、この小説に惹かれた理由を、次のように語っている。「日本が終ってしまいそうな時に、『身体の言い分』に身をゆだねる二人がアナーキーでいいなと思いました。世間的な価値観や倫理じゃなくて、身体がしたい事をさせてあげようという。“自然災害=超自然”に対して、“人間の自然”で対峙しようという事ですよね」。
かくして、大まかなプロットは原作そのままに──しかし、その舞台となる土地を九州から東北は秋田に変更し、それによって原作でも言及される“東日本大震災”との“心理的な距離感”に、新たな意味と解釈を加えながら描き出される本作。否、もうひとつ、重要な変更点があった。原作では、賢治41歳、直子36歳と設定されていたものを、柄本佑と瀧内公美という、それよりもひとまわり若い男女が演じることによって、その物語の雰囲気が、大きく変化しているのだ。端的に言って、原作にはなかった“明るさ”と、まるで青春映画のような“瑞々しさ”が、その2人によってもたらされているのだ。映画作品はもとより、朝ドラ『なつぞら』から大河ドラマ『いだてん』の出演に至るまで、近年活躍目覚ましい32歳の俳優・柄本佑と、主演映画『彼女の人生は間違いじゃない』(2017年)で鮮烈な印象を残して以降、最近ではテレビドラマでもよく目にするようになった29歳の女優・瀧内公美。いずれも近年、これまで以上に多くの人々から注目を受けるようになった、まさしく“勢いのある”役者である。この2人の文字通り“身体を張った”芝居が、本当に素晴らしい。
結婚生活が破綻し、現在は失業中である男と、結婚を間近に控えた女が、自らの“身体の言い分”に身を委ねながら過ごす愛欲の日々。ともすれば、“破滅的”であるようにも思える彼/彼女の日々は、大方の予想とは異なり、いっさい他者が介在することのないまま、思いもよらない結末を迎えるのだった。直接的ではないにせよ、2人の行動に少なからず影響を及ぼしているであろう東日本大震災の記憶に加え、さらなる“自然災害”の到来が、映画の終盤で暗示されるのだ。ただでさえ不確かな未来が、よりいっそう見えないものとなったとき、賢治と直子が選び取った行動とは……。その結末については、敢えてここでは触れないけれど、この映画を観終えたあと、しばらく経ってから、唐突に思い起こしたのは、自分でもかなり意外ではあったけれど、この夏大ヒットを記録しているあのアニメーション映画だった。そう、新海誠監督の『天気の子』だ。