短所が長所で、長所が短所に!? 『ライオン・キング』“2次元の3次元化”への試行錯誤を読む
『ライオン・キング』(2019年)は野心的で実験的な映画だ。2次元をいかにして3次元にするか? この課題に挑み、失敗と成功の両方を持ち帰っている。
本作は『ライオン・キング』(1994年)のリメイクだ。あらすじにも大きな変更はない。ライオンの王子シンバは、叔父のスカーの陰謀によって父を失い、自身の王国からも追い出される。幸運にもイボイノシシとミーアキャットの友を得たことで一命は取り止め、立派な大人に成長することもできた。しかし、ひょんなことから幼なじみの雌ライオン・ナラと再会したことで、平和な暮らしを離れ、王の子として宿命の戦いに身を投じる。
まず本作で驚愕するのは、同じジョン・ファヴロー監督の『ジャングル・ブック』(2016年)をさらに進化させたような、最先端の技術で再現された動物たちだ。本作は冒頭からクライマックスがやってくる。オープニングの「サークル・オブ・ライフ」が流れるシーンは、アニメ版のそれを完璧に実写化している。例の「ア~~エイヤ~~」という歌い出しから、様々な動物たちが祝福のために一か所に集まり、ヒヒのラフィキが幼いシンバを持ち上げる。このシーンは鳥肌モノだ。現実では絶対に起きないことが、現実のように描かれているのだから。『ジュラシック・パーク』(1993年)でサム・ニールたちが初めてブラキオサウルスを目撃するシーン、『トランスフォーマー』(2007年)でブラックアウトが米軍基地を破壊するシーン。こうした「映像革命」と謳われた映画に匹敵するパワーがある。
その後も同様のシーンが連続するので、途中から実写を観ているのかアニメを観ているのか分からなくなってきた(劇中で人間が出てこないのも大きい。特殊効果がかかっていないキャラがいないので、ある意味で本作は逆2.5次元ともいえる)。個人的にはオープニングの迫力と、こうした「これは実写か? アニメか?」という不思議な映像体験、そして思わず襟を正したくなるようなビヨンセの劇中歌だけでも元は取れたように思う。
一方で、大きな問題も感じた。すでに世界中のレビューで指摘されている点だが、動物たちがリアルすぎて、アニメ版のような表情の豊かさに欠けるのだ。特に「ライオン」が総じて弱い。個人的にアニメとは違う魅力を感じたのは、主人公よりも悪役のスカーだ。やっていることの凶悪さに対して、どこかコミカルな雰囲気が抜けなかったアニメ版に対し、本作のスカーは極悪なライオンそのもの。スカーと組むハイエナたちもアニメより好みだった。「常に腹を減らし、見境なしに食い散らかす。だから隔離されている」という設定と、特にリーダー各のシェンジは、声の演技も含めてスカーに並ぶ悪の魅力を放っていた。こうした良いポイントもあったが、それでもシンバやナラといったキャラクターの魅力を引き出すことはできていなかったように思う。CGのクオリティは完璧で、いわゆる「不気味の谷」に陥っているわけではない。むしろ「普通のライオン」なのが問題なのだ。