吉高由里子と新垣結衣、現代人に寄り添えるのはどっち? 『わた定』と『けもなれ』の決定的な違い

 吉高由里子が「定時で帰る」ことをモットーにしたヒロインを演じるドラマ『わたし、定時で帰ります。』(TBS系、以下『わた定』)。放送開始当初は職場のリアルな描き方などから、『獣になれない私たち』(日本テレビ系、以下『けもなれ』)と重ね合わせたり、比較したりして見る人も少なくなかった。

 どちらも「仕事ができるヒロイン」が、問題ある上司や頼りない後輩など、上の世代と下の世代にはさまれ、尻拭いをすることが多い点は共通している。また、出世欲などはなく、仕事を優先順位の最上位にしていないことも同じだろう。「似た世界観」「どちらも刺さる」という視聴者も少なからずいる。

 しかし、『けもなれ』が視聴率で軒並み苦戦を強いられ、評価においても賛否両論で続々と脱落者を出した一方で、『わた定』は初回1桁からスタートし、上下しつつも2桁に到達。評価もじわじわと高めている。

 両者の違いはいったい何なのか。当然ながら個人的な好みの問題はあるだろうが、「見やすさ」において決定的な違いがいくつかあるように思う。

 まずヒロインの置かれた「現状」の違い。『けもなれ』の深海晶(新垣結衣)の場合、現状がまさに苦しみの真っただ中で、現在進行形でモヤモヤしていた。それに対して、『わた定』のヒロイン・東山結衣(吉高由里子)が苦しんでいたのは、前職のとき。「絶対残業しない」ことをモットーにしたのも、休みもなく月100時間以上残業し、階段から落ちて重体になった過去があったからだ。

 『けもなれ』の場合は、周囲の起こすトラブルを「仕事ができる」という名目で、ことごとく晶が背負されてしまっていた。晶の表情には常に悲壮感が漂っていて、仕事をどんどん押し付けられたり、パワハラ・セクハラにあったり、理不尽な土下座をさせられたりしたことまであった。視聴者は、そんな八方美人で断れない晶を見て、辛い気分になったり、モヤモヤしたりした。

 「仕事ができる」というのも、晶の仕事ぶりからではなく、あくまで周囲の人の発言から見えるだけ。

 明らかにキャパオーバーに見える仕事量を後輩に振り分け、指導するでもなく、押し付けられるままに一人で抱え込む晶が、本当に「仕事ができる」のか。もしかしたら、断れない性格につけこんで、「仕事がデキる」という名目で体よく押し付けられているのではないかと思うことすらあった。

 一方、『わた定』で悩み苦しむのは、同僚や産休明けの先輩、後輩など。

 結衣はそんな彼ら・彼女らを脇に見て、自分勝手に定時帰りを決め込むわけではなく、自分の信条を貫きつつも、問題や悩みを抱える人たちの個々の思いや事情を理解・尊重し、サポートし、気持ちをラクにさせる役割を担っている。

 真面目で要領が悪い同僚がトラブルを起こし、失意で会社を休んで部屋に閉じこもると、近所のお気に入りの中華粥を「特別にショウガたっぷりにしてもらって」差し入れてくれ、話を聞いてくれる。

 産休明けで遅れを取り戻そうと必死で空回りする先輩には、「何と戦っているんですか」と言い、気持ちをほぐしてくれる。

 「自分なんて何の役にも立たない」と卑下する新人には、わざとらしい誉め言葉など言わず、一人の人間としての面白みを評価し、存在自体を肯定してくれる。

 自分の主義主張を一切押し付けることなく、それぞれの立場を推し量り、思いを聞き、受け止めたうえで、肯定する結衣は、職場の中間的立場を担う人として、非常に優秀だ。にもかかわらず、そんな彼女のフォローやサポートは、表立って誰かに褒められたり評価されたりするわけではなく、「定時で帰れるメンタルはすごい」と言われたり、ときには「要領が良い」と敵視されたりすることもある。

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