『はじこい』から学ぶことは思いのほか多い? 横浜流星が“迷える大人たち”の前に登場したワケ

 雅志(永山絢斗)はかつて、“大人”になって一番良かったことの答えとして、「自由を手に入れたこと」を挙げた。

「自分の意思でやりたいことができること。どんな夢を何度見てもいい。成功も失敗も全部自分のせい」

 彼が言ったことは、間違っていないのかもしれない。子どものころは、「あれをしなさい」「これをしてはいけない」と何かと親や教師から制約を受けるもの。でも、大人になれば“自由”に生きられる。自分の好きなやり方で、その人生を謳歌することができるのだ。ところが、『初めて恋をした日に読む話』(TBS系)に登場する3人ーー順子(深田恭子)、雅志、一真(中村倫也)ーーはすでに社会に出た、“大人”なのであるが、全てが自分たちの思い通りになっているかと言われれば決してそうではない。

 雅志は東大進学後、大きな会社に就職し、まさしくエリート人生のただ中にあるようにも見える。ただ、順子という一人の女性に対する上手いアプローチだけは、なかなか叶えられず、もどかしさを感じてきた。第1話で、「俺は失敗したことないけどな」と言っていたものの、すべてが順風満帆というわけではないのだ。前回放送の第6話では順子と一真の関係を疑ったばかりに、一真を殴ってしまう一幕まであり、なかなか大変である。

 一方、一真も一真で何やら心の中に抱え続けているものがあるようだ。そのクールな振る舞いや話し方の陰で、どこか厭世的な印象を漂わせる一真。「つまらないことを真面目にやるのが“大人”だからな」とは、自分の生徒に彼が吐き捨てた言葉であるが、その台詞が示しているように、どこか“諦め”のようなものを抱いている節がある。一真の言っていることも一つの事実ではある。雅志の言うように、自由に生きられるのが大人。でも、それだけでは決して生きていくことなどできない。好むと好まざるとに関わらず、“つまらないこと”もやらなきゃいけないのが大人なのだ。雅志と一真という、同じ世代に生まれながら、だいぶ異なる人生を歩んでいる2人の姿からは、そんな大人の在り方の2面性が垣間見える。

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