現在の社会状況をも浮かび上がらせるユニークな視点 『フロントランナー』が描いた重要な問題

『フロントランナー』が描いた重要な問題

 なぜ状況が変わったのか。それは、一つにゲイリー・ハートという人物のパフォーマンスに理由がある。本作で描かれているように、ハンサムで人を惹きつける魅力を持ったハートは、山で演説をしたり斧を投げたり、大衆受けを狙う方法で人気を集めることに努めていた。その「ポピュリズム(大衆迎合主義)」的な行動が、彼を芸能人に近い存在であるかのように認識させ、ゴシップを暴かせてしまったのかもしれない。

 またその頃、現職の大統領が実際に映画俳優だったということも見逃せない。見栄えが良く人気を集めるために、政治家はハリウッドスターに接近しようと務め、その代償として、世間は悪い意味でも特定の政治家を芸能人として見るようになっていったように考えられる。さらにハートはクリーンなイメージで、進歩的な政策を打ち出すことで支持を集めてきたので、不倫のようなスキャンダルが報道されると致命的なダメージを被ることになる。

 問題は、この報道が選挙の結果に大きく影響したという点である。一人の記者、一つの報道機関の判断が、国の将来を左右してしまうのだ。しかし、この責任はメディアにだけ存在するというわけでもなさそうだ。このような報道を喜び、鵜呑みにして右往左往してしまう多くの市民にも問題はあるだろうし、そもそも政治家が不倫をしなければ、こんな事態に陥ることはなかったのである。

 それでもハートは、政策の中身ではなく、プライベートな行為だけで判断されることに不満を持ち、多くの報道陣の前に立ち、彼らを通して国民全体へ疑問をぶつける。たしかに、国民の投票によって決定される「大統領」という存在は重い。不倫をするような人物は相応しくないというのは、真っ当な考えではある。とくに進歩を掲げる政治家が、ある女性を性的な存在としてのみ扱っているような行動をとっていては、資質を疑われても文句は言えないはずだ。これは、一面では女性の権利や尊厳を守ることにつながるかもしれない。

 しかしハートが劇中で主張するとおり、有権者たちは政治家のプライベートとは別に、政策は政策として独立した判断をすることも重要ではないのか。有権者の生活に直結するのはあくまで政策なのだから、それを軽視することは有権者自身の首を締めることにもなりかねない。

 ここでジェイソン・ライトマン監督をはじめとする製作者がテーマに内包する問題として想定しているのは、現在の政治状況であろう。資産家でTV出演の機会が多いドナルド・トランプが大統領選に勝利し、次の大統領候補には、「メディアの女王」と呼ばれるオプラ・ウィンフリーが出馬するのではと、まことしやかにささやかれている。ここにおいて、アメリカの政治と芸能界の境界は、限りなく曖昧になってきているといえよう。このような状況になる端緒として、ゲイリー・ハートの問題があったと見立てることで、問題の根が立体的な形を見せはじめるのだ。

 本作は、あるべき選択や答えを提示することはない。あくまで状況を整理し、問題点を洗い出しているだけだ。それだけに内容は比較的客観的なバランスを保ち、様々な感想や解釈、観客のあらゆる意見を許すつくりになっている。とはいえ、この作品を観ることで、こういった問題があることを多くの人間が意識することになるのはたしかだ。それだけで本作は、社会的に意味のある映画の一つとして、残り続ける価値がある。

■小野寺系(k.onodera)
映画評論家。映画仙人を目指し、作品に合わせ様々な角度から深く映画を語る。やくざ映画上映館にひとり置き去りにされた幼少時代を持つ。Twitter映画批評サイト

■公開情報
『フロントランナー』
全国公開中
監督:ジェイソン・ライトマン
出演:ヒュー・ジャックマン、ヴェラ・ファーミガ、J・K・シモンズ、アルフレッド・モリーナ
脚本:マット・バイ、ジェイ・カーソン、ジェイソン・ライトマン
原作:マット・バイ著『All the Truth is Out』
配給:ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント
公式サイト:http://www.frontrunner-movie.jp

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