宮台真司の月刊映画時評 第10回(前編)

宮台真司の『愛しのアイリーン』評:「愛」ではなく「愛のようなもの」こそが「本当の愛」であるという逆説に傷つく体験

結婚のために愛を探す滑稽

 『愛しのアイリーン』を見た皆さんは、結婚を選択(自由の行使)だと信じているかもしれない。それは最近の錯覚です。元々の結婚は選択ではありません。1万年前からの定住化に伴い、収穫物のストックの保存・配分・継承のために所有概念ができ、所有を保護するために法ができました。法人類学が教える「常識」です。

 所有とは「使っていなくても自分のもの」という観念です。この概念が、物だけでなく人にも適用されたものが「結婚」です。でも、こうした所有概念を受け容れなかったのが非定住民。だから彼らは、セックスレスの意味を理解できず、「セックスレスで家庭内別居状態なのに他人様の不倫で炎上する」定住社会のクズを軽蔑します。

 高名な人類学者である奥野克巳の研究によれば、ボルネオ先住民プナン族は、非定住民では珍しく排他的な一夫一妻ですが、2年余りで相手を変えるので、生涯4~5回、多い人は10回相手を変えます。相手を変えるたびに子が生まれますが、適当に配分するので、家族の中には親が違う子供たちが普通に含まれるのです。

 確認すると、元々はどの社会でも結婚は権利配分を決める制度で、愛は無関係でした。血縁集団が複数集まって定住集団を形成しましたが、A集団の男がB集団の女と結婚し、B集団の男がA集団の女と結婚する「半族婚」や、男が母方イトコと結婚する「交叉イトコ婚」など、血縁的な続柄で相手が指定されたのです。

 血縁的な続柄で結婚相手を指定する「親族ルール婚」は、やがて社会が階層化して「家柄婚」にシフトしましたが、やはり愛は無関係でした。いつの時代にも、結婚は、社会全体を保つのに必要な部分的結束のためになされる「権利配分」でした。実際に日本でも、僕の両親が結婚した半世紀前まで、7割が見合い婚だったのです。

 諸外国との経済的な非対称性(による駆り立て連鎖)を今は横に置きますと、愛と無関係な、財産と地位獲得のための結婚は、日本でも最近まで珍しくありませんでした。身長・学歴・収入で相手を“選ぶ”いまどきの「三高」婚でも、愛の優先順位は低いはず。ならば、あぶれる心配も期待過剰による失望も回避できる「見合い婚」は、とても合理的です。

 そう。昔はどんな定住社会でも、愛ではないものに「駆り立てられて」結婚しました。愛は「結婚以降に」始まりました。その愛ですら、皆さんが考える愛は歴史的な“作品”です。相手を崇高化し、永遠を誓うような愛は、12世紀南欧に始まりました。吟遊詩人が領主の奥方を神に擬えた「既婚者の愛」が出発点でした。

 この成就を期待しない“戯れ”が15世紀に宮廷に持ち込まれ、既婚者同士の“真面目な”宮廷愛が始まりました。「あなたが世界の全て」という物言いが、婚姻の法(しきたり)を踏み越える制御不能な情熱を象徴しました。でも言葉では何とでも言える。ただの人が世界の全てなんてあり得るのか。だから、恋ゆえの病と死が「真の心」の証とされました。

 成就を目指したとはいえ、暇な貴族の営みに過ぎなかった恋愛は、19世紀に印刷術の普及を背景に恋愛小説が流行ったことで、一挙に庶民化します。ただ、「真の心」の証が病と死では、庶民にとってハードルが高すぎるので、結婚が持ち出されました。「真の心」の証明としての結婚、という新解釈が与えられたわけです。

 20世紀に入ると、「愛の証明」として“結婚を探す”のが逆転して、「結婚の手段」として“愛を探す”ようになり、それが世界に拡がりました。つまり「恋愛結婚」です。映画の主人公岩男も、「結婚の手段」として“愛を探す”のですが、42歳過ぎても見つかりません。彼の「見果てぬ夢」と、母親の「家柄婚」願望との衝突が、映画の重要なモチーフを与えています。

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