小野寺系の『ちいさな英雄』評:監督たちの才能とスタジオポノックの未来を読む
「ポンポンポン、ポノック、スッタッジッオ、ポノック♪」
木村カエラが景気よく歌うオープニングテーマ曲から始まる、ポノック短編劇場『ちいさな英雄―カニとタマゴと透明人間―』。スタジオジブリが継続的な長編作品制作を終了したことにともなって、退社したスタッフやプロデューサーによって設立されたスタジオポノックによる、劇場用の短編オムニバス作品だ。その性質上、当初は小さな規模で公開される予定だったというが、大手各社による配給・宣伝の判断により、最終的に全国で100館以上に拡大されての公開となった。
スタジオポノックといえば、長編第一作『メアリと魔女の花』(2017年)が記憶に新しい。この作品については以前に批評しているが、率直に言うと感心できない内容だった。なるほど、日本の多くの手描きアニメーション作品のなかでは良く動いているといえるが、演出や脚本、キャラクター造形や美術のセンス、そしてテーマの奥行きの無さなど、残念ながら高畑勲監督・宮崎駿監督が主導して構築してきたブランドの雰囲気だけを表面にまとってはいるものの、きわめて内容の希薄なものとしか感じられなかった。(参考:小野寺系の『メアリと魔女の花』評:“ジブリの精神”は本当に受け継がれたのか?)
だが今回は、『メアリと魔女の花』の米林宏昌監督以外にも、とくに高畑勲監督の作品を多く手がけてきた百瀬義行、宮崎駿監督作のスタッフだった山下明彦が、新たにそれぞれ短編の監督を務めている。ならば最大の注目点は、「ポノックのなかに監督としての才能を持ったスタッフがいるのか」という疑問であろう。
よく「ジブリは後継者を育てなかった」といわれる。実際にジブリの制作部門が解散したことが示すように、高畑・宮崎監督のレベルにとどく天才的な才能を持ったアニメ作家が生まれなかったというのである。これはスタジオジブリ出身のスタッフたちにとっては屈辱的な意見であろう。しかし、ここで一発、面白い作品を作ることができれば、そういった世評を覆すことができるはずである。少なくとも、今後につながるような可能性を見せてほしい。ここではその部分を焦点としながら、短編3作をそれぞれ個別に批評し、監督問題とスタジオポノックの未来をうらなっていきたいと思う。