『高嶺の花』峯田和伸はなぜ石原さとみを許したのか? 小日向文世が囁く“深い呪い”と考える

 直人(峯田和伸)と同じく、一視聴者として、もも(石原さとみ)は直人のことを切り捨ててしまうのではないかという、“最悪の展開”を薄々感じ続けていたが、まさか本当にあんな終わりを迎えてしまうとは。

 華道家のももと自転車屋の直人の格差恋愛を描いてきたドラマ『高嶺の花』(日本テレビ系)。愛を着実に深めてきた2人は第6話で結婚式を執り行うが、最終的にももは直人を置き去りにして、元恋人の拓真(三浦貴大)の手を取り式場を去ってしまう。

 1人の男を見つけてきて、ある程度の関係になるまで愛し、その男を切り捨てるというシナリオは、もとはと言えば市松(小日向文世)の言葉がきっかけであった。一時は、ももがその言葉通りに従わないかのように思われ、第4話では「私は華道を辞めます」と市松に告げる。しかし、市松の「お前には花を生けることしかできん」、「耳元で囁かれる色恋の言葉など、全て偽物と思い知ったはずだ」などといった一連の“呪いの言葉”は、悲しいかな、実際にももを翻弄していく。そんな市松の“呪い”の深さを見ていこう。

 ももの中で何かが動き始めたのは、第5話の終盤。ももの前に現れた拓真は、「僕を愛してほしい」と再びよりを戻そうと説得しに来た。この拓真の存在を上手く利用して、ももは直人に対する“罪悪感”を自身に植え付ける方向へといよいよ本格的に進んでいってしまう。“罪悪感”なしには、華道に邁進することはできない。まさしく市松の指示通りである。

 “罪悪感”をもって、自分を救済することができる。華道家としても、人間としても。果たして本当にそうだったのだろうか。直人を失うことになったことは言うまでもないが、ももを苦しめるものは色恋だけではない。もし市松が話していることが本当ならば、市松は家元には、ももの妹のなな(芳根京子)をつかせようと目論んでいる。ももを月島に残すのは、ななを正々堂々とした勝負で勝たせた上で家元にするため。その噛ませ犬としてももを呼び寄せておく必要があったのだとか。ももの実の父親は市松ではなく、運転手・高井(升毅)。市松は「家元の娘が、運転手の娘に劣るなどあってはならん」と考えている。恋で直人を失うばかりか華道の方でも、ももは市松の手の内で踊らされる。

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