映画『恋は雨上がりのように』のトーンを決定づけた、大泉洋の絶妙なバランス

 こうした下心のない、女性を記号でみない男性に宿る魅力というものこそ、今まではなかなか物語に描かれてこなかったことだと思う。恋の物語を描くとき、「私のことが好きだからとってくれた行動にこそ、ぐっとくる」ということを描くのがこれまでは主流だったと思うのだが、セクハラやパワハラの構造が明らかになってきた現在、その好意は、ひとりよがりで気持ち悪いものにもつながりかねないということを、我々は知っている。

 しかし、この『恋は雨上がりのように』では、「私」が誰であろうと同じ優しさを与える人として店長が描かれているように思えた。だからこそ、店長は最後まで、高校生(女子高生ではない)というきらめく季節を、踏み外してほしくないという一心であきらに対して接するし、そうすることでまた魅力的に思えてしまうキャラクターだった。

 この店長という役を演じるのは非常に難しいことではないかと思う。店長に過度な自信が見え隠れすれば成立しないし、自覚された過度なセクシーさなどがあってもどこか違うと思ってしまうだろう。でも、そんな中にも、あきらが好きになりうる魅力が見えないといけないのだから、俳優のテクニックだけではなかなか醸し出せないものだろう。そこを、大泉洋は絶妙なバランスで演じていたのではないだろうか。

 これまでの映画では、男性主人公が女性と出会い、そこで彼女を助けたことにより、自分自身のヒロイズムを獲得したり、自尊心を取り戻すような物語も多かったと思う。しかし、店長はこの映画の中で、あきらを救ったことでヒロイズムを得ることもないし、自尊心を取り戻し、一歩前に踏み出すときに必要なものとして、あきらの存在の大きさを描いたりもしていない。そんなところを見ても、『恋は雨上がりのように』は、とても新しい形の物語だと思うのだ。

 この映画の終盤、店長はあきらと出会ったことで、自分にも彼女と同じように複雑な思いで過ごし、そしてきらめいていた青春時代があり、そこで置き忘れたものを、自分自身の一歩と、戸次重幸演じる大学の同級生で作家の九条ちひろとの関係性によって取り返す。

 この戸次演じる九条が、長髪に眼鏡、世間には迎合せず、自分なりの考えで生きているというキャラクターで、漫画の見た目そっくりだし、ふたりの場面があることで、彼らの世代にもより身近に感じられる映画になっていたと思う。

 実際にも大学時代からの付き合いで、20年以上の仲である大泉と戸次が、映画の中でも影響しあう2人を描いたことで、より、店長が自分の力で前を見て歩むという性質が強くなったのではないだろうか。

 原作では、それを取り戻す理由として、あきらとの出会いによる比重が大きかったと思うのだが、映画では、店長が自分自身と友情において変化するということをより強く描いていたように思う。だからこそ(彼女をヒロイズムを獲得する材料に使わなかったからこそ)、あきらと店長の希望を残す最後が描けたのだと思うのだ。

■西森路代
ライター。1972年生まれ。大学卒業後、地方テレビ局のOLを経て上京。派遣、編集プロダクション、ラジオディレクターを経てフリーランスライターに。アジアのエンターテイメントと女子、人気について主に執筆。共著に「女子会2.0」がある。また、TBS RADIO 文化系トークラジオ Lifeにも出演している。

■公開情報
『恋は雨上がりのように』
全国東宝系にて公開中
出演:小松菜奈、大泉洋、清野菜名、磯村勇斗、葉山奨之、松本穂香、山本舞香、濱田マリ、戸次重幸、吉田羊
原作:眉月じゅん『恋は雨上がりのように』(小学館「週刊ビッグコミックスピリッツ」連載)
監督:永井 聡
脚本:坂口理子
音楽:伊藤ゴロー
参加アーティスト:の子/mono(神聖かまってちゃん)、柴田隆浩(忘れらんねえよ)、澤部渡(スカート)
主題歌:「フロントメモリー」鈴木瑛美子×亀田誠治(ワーナーミュージック・ジャパン)(C)2018映画「恋は雨上がりのように」製作委員会 (C)2014 眉月じゅん/小学館
公式サイト:http://koiame-movie.com/

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