『パシフィック・リム:アップライジング』なぜ賛否両論に? 不満の声が出る理由を検証

 東京が舞台になるところからも分かる通り、やはり本シリーズの精神的な拠りどころとなるのは日本である。前作を含め、数えきれないほどの怪獣映画、ロボットアニメからの引用が見られるが、じつはここで明確に排除されたものが二つある。

 日本のアニメーションは、アメリカを含め世界に輸出されてきたが、そこでよく障害となったのが、いわゆる「お色気シーン」だ。ロボットアニメの美少女パイロットがなぜ扇情的な格好をするのか、なぜシャワーを浴びるような「サービスカット」があったりするのか。これらの描写は、日本の“少年向け”作品では伝統的に行われてきたが、多くの国では問題となってしまうのである。日本のアニメ作品で育った大人たちにしてみれば不思議に思うかもしれないが、子どもの興味を惹くようなロボットアニメに、ポルノ的な要素を伝統的に加えていたというのは、冷静に考えてみれば奇異なことである。これは日本の男性クリエイターによる、女性に対する意識の反映であると同時に、日本の文化そのものにおける根深い差別的な問題をはらんでいるように思える。

 本シリーズが、このような要素から距離をとったというのは、マーケティングの面から見ても至極当然なことだ。さらに、キスシーンを含め恋愛描写を採用しないことで、女性が何かしら性的な役割を果たさなければならないという、一種の男性的価値観からも解放されている。本シリーズは、この手のジャンルを「男の子のもの」ではなく、より広い層に受け入られるものへと「進化」させた。そして同時に、ロボットアニメの未来を指し示したといえよう。

 もう一つ排除されているのは、日本の怪獣映画やロボットアニメが底流に持っている「悲壮さ」だ。『ゴジラ』がなぜあれほどまでに怖ろしく、日本人の心をとらえるのかというと、そこには空襲や原爆投下によって、自国の都市が焦土と化した「敗戦の記憶」が映し出されているからである。実際の日本海軍の戦艦を想起させる『宇宙戦艦ヤマト』は言うに及ばず、『新世紀エヴァンゲリオン』第25話「Air」(劇場版)で、日本政府から見放されたネルフ本部が、制圧され追いつめられていく恐怖は、沖縄戦の惨禍を描いた『激動の昭和史 沖縄決戦』(1971)を思い起こさせる。影響の大小はあれど、戦闘が描かれる日本の作品には、このような敗戦の悲しみが貼りついている。戦争に馴染みのない子どもの観客にも、戦いにはいつでも、後ろめたさや寂しさなど、苦いものがつきまとうということが示されることで、その感覚は伝わっていくのだ。

 敗戦の記憶をさらに強くリフレインした『シン・ゴジラ』(2016)が、日本でブームを巻き起こしたものの、海外ではあまり理解されなかったというのは、そのような日本独自の文脈が前提となっていたためであろう。本作は、この「出汁(ダシ)」が希薄なために、日本人の観客にとって、「何かひと味足りない…」と思わせるところがある。

 『パシフィック・リム』では、やはりこの種の感覚は薄まっていたものの、ギレルモ・デル・トロ監督は、戦争の惨禍や侵略される恐怖のイメージを作品に与えることを忘れてはいなかった。本作はそのようなウェットな要素をさらに薄めたことで、より明快でスポーティーな印象を受ける、万人受けするようなものになったといえよう。それは、日本の要素を組み込みながらも、本質的には一定の距離をとり、「アメリカ映画」らしい作品になったことをも意味しているのだ。

■小野寺系(k.onodera)
映画評論家。映画仙人を目指し、作品に合わせ様々な角度から深く映画を語る。やくざ映画上映館にひとり置き去りにされた幼少時代を持つ。Twitter映画批評サイト

■公開情報
『パシフィック・リム:アップライジング』
全国公開中
監督:スティーヴン・S・デナイト
脚本:エミリー・カーマイケル、スティーヴン・S・デナイト、T・S・ノーリン、キラ・スナイダー
製作:ギレルモ・デル・トロ、トーマス・タル、メアリー・ペアレント、ジョン・ジャシュニ、ケイル・ボイター、ジョン・ボイエガ、フェミ・オグンス
出演:ジョン・ボイエガ、スコット・イーストウッド、ジン・ティエン、ケイリー・スピーニー、菊地凛子、新田真剣佑、バーン・ゴーマン、アドリア・アルホナ、チャーリー・デイほか
配給:東宝東和
(c)Legendary Pictures/Universal Pictures.
公式サイト:pacificrim.jp

関連記事