>  > 『ビジランテ』が描く地方都市の郷愁と断絶

『ビジランテ』は入江悠の次の10年を予感させるーー逃れられない地方都市の“郷愁”と“断絶”

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 映画に取り込める郷里を持つ映画監督は強い。誰にでも出身地ぐらいはあるだろうが、そこで撮ったからといって、土の匂いや空気まで映画にこめることができる映画監督は稀だ。大林宣彦の尾道、河瀬直美の奈良、青山真治の北九州などを思い浮かべれば良いが、その土地を舞台にすると映画が息づき、激しさを増し、色気を醸し出す。埼玉県深谷市出身の入江悠もそんな1人だ。『ビジランテ』は、同じく埼玉で撮られた出世作『SR サイタマノラッパー』(09年)以来となる埼玉映画である。

 若手映画監督へインタビューした際に今後の抱負を訊くと、メジャーで商業映画を撮りつつ、オリジナル企画で自主製作でも良いから並行して撮っていきたいと語る監督は少なくない。だが、実際はそう簡単にいかない。殊に商業映画で仕事が増えると、次々と新作の準備に追われてヒマがなくなる。そうこうするうちに実現困難なオリジナル企画へのモチベーションは落ちてゆく。

 そう考えると、『64‐ロクヨン‐前編/後編』(16年)や『8年越しの花嫁 奇跡の実話』(17年)を撮りつつ、自主製作のオリジナル企画『菊とギロチン』(2018年夏公開予定)を完成させた瀬々敬久は、殺到する商業映画をこなしながら並々ならぬ労力を割いたはずだ。『ビジランテ』にしても、たまたま『22年目の告白 -私が殺人犯です-』(17年)の撮影が一時延期になったことから入江悠は脚本を書くまとまった時間を取ることができ、自ら東映ビデオに企画を持ち込んで実現させたという。何もそんなことをしなくとも、結果的に『22年目の告白』は、メジャー映画進出以降としては最大の成功作となったのだから、映画監督としては安泰ではないかと思いそうになるが、元々オリジナル企画で脚本も手がけてデビューした彼らは、その時々でこうしたオリジナル企画を無理してでも作ることで原点回帰を図るようだ。

 〈ビジランテ〉とは自警団を意味する。実はどういう意味か最初は分からず、入江監督が70年代末の生まれだけに『ゴジラVSビオランテ』(89年)に影響を受けて怪獣映画を作ったのかと思ったほどだ。もっとも、冒頭の夜の川を逃げていく3人の少年たちを追って来る獰猛な菅田俊は、そのシルエットからしてまるでゴジラのようだ。間もなくこの3人が兄弟で、菅田俊が厳格な旧家の父であることが明らかになる。容赦ない折檻を子どもたちに加える父に愛想を尽かし、長男の一郎は姿を消す。それから30年、父の死をきっかけに長男が帰ってくる。

 地方都市を舞台に、過去の古傷が幼馴染の運命を狂わせる『ミスティック・リバー』(03年)、強権を持つ父の死により遺産相続をめぐって三人姉妹の子どもたちが次々に殺されていく『犬神家の一族』(76年)などを想起させる内容だけに、『ビジランテ』には映画らしい匂いが満ちている。ただし、それだけなら継ぎ接ぎでしかない。コアにあるのは題名のビジランテ=自警団だ。この企画の原点には自警団をテーマにした作品を作るところからスタートしている。今、地方都市を舞台にするなら、外国人労働者が絡んでくるのは必然だろう。本作では地元住民と外国人とのトラブル、排斥運動、そして決定的な断絶が描かれる。

      

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