小野寺系の『エイリアン:コヴェナント』評:R・スコットの熱意が生んだ、スリリングな前日譚

小野寺系の『エイリアン:コヴェナント』評:R・スコットの熱意が生んだ、スリリングな前日譚

 『プロメテウス』から引き続き登場する、マイケル・ファスベンダー演じるアンドロイド、“デヴィッド”もまた、象徴的な存在として、ミケランジェロ作のダビデ像と重ねられるシーンがある。デヴィッドの語源とも言われる”ダビデ”は、巨人を殺して新たなイスラエルの王になった人物であるように、本作のデヴィッドもまた絶対的な存在になるべく、タブーを破りながら主従の立場を超越していく。デヴィッドが一人きりで住む宮殿は、北欧神話における、戦死者の魂が集まるという「ヴァルハラ城」が意識されているように見え、またその一角にある細い木に囲まれたテラスは、ギーガーも影響を受けた、19世紀の画家アルノルト・ベックリンの「死者の島」を想起させる。それが示すのは、そこに住む者が永遠の命を持つ新たな神として、死の研究を続ける隠者であるということだろう。

 このプリクエル・シリーズでは、巨人、人間、アンドロイド、エイリアン(ゼノモーフ)という四つの種族が入り混じり殺し合うが、本作が面白いのは、一体どれが生き残るべき特権的な存在なのか分からないということだ。ここにおいて、神を殺してはならないという契約は既に解かれており、その優位性は、その中でも創造主に対しては敬虔な態度をとるエイリアンを除いて、ほぼ無効化されているように見える。つまり、本作の中で描かれる船内のサバイバルというのは、数々の宗教的モチーフによって強調されるとおり、彼らだけの命運を飛び越えた、神々が死んだ終末世界において、どの種が生き残り神に成り代わるのかを決める、壮大な規模のデスマッチであったのだ。

 これは、エイリアンを宇宙の凶悪なモンスターとして、純粋に恐怖の対象として描かれていた、『エイリアン』第一作のシンプルなイメージをすら複雑化させる効果を持っている。狭い船内での局地的な戦いでしかなかった『エイリアン』のエピソードは、本作の存在によって神話のひとつとして位置付けられたのである。

 しかし、いったん作られ評価が定まっている名作に、後から意味付けをしてさらに重厚感を加えるという行為については、否定的意見が挙がるというのは避けがたい事態であるだろう。そのように考えると、『エイリアン:コヴェナント』は、功罪を併せ持ったスリリングな存在だといえる。だがそれは同時に、作り手の立場からすれば、間違いなく挑戦的行為だともいえよう。元の作品に影響を及ぼさない作品は、ただの独立したエピソードであって、「プリクエル」としての可能性を追求しているとは言えないからである。その意味において、オリジナルの監督が本作を手がけることができたという意味は大きい。何よりもリドリー・スコット監督が、『エイリアン』第一作が公開されてから38年経って、なお新しいものを創造しようという変わらぬ熱意を持っていたという事実が嬉しい。この挑戦的な姿勢によって本作は、「プリクエル」作品としての存在感を発揮し、また第一作同様に作家性を強く感じるものになっているといえよう。

■小野寺系(k.onodera)
映画評論家。映画仙人を目指し、作品に合わせ様々な角度から深く映画を語る。やくざ映画上映館にひとり置き去りにされた幼少時代を持つ。Twitter映画批評サイト

■公開情報
『エイリアン:コヴェナント』
全国公開中
監督:リドリー・スコット
出演:マイケル・ファスベンダー、キャサリン・ウォーターストン
配給:20世紀フォックス映画
(c)2017 Twentieth Century Fox Film Corporation. All Rights Reserved
公式サイト:http://www.foxmovies-jp.com/alien/

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