渡邉大輔の『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』評:『君の名は。』との関係と「リメイク映画」としての側面を考察

 デジタル時代特有のアニメ表現


 以上のように『打ち上げ花火』をめぐる新房、岩井、そして新海のトリアーデを設定してみた時、さらに見えてくるものは何なのでしょうか。

 それはおそらくは映画をはじめとする昨今の「映像のデジタル化がもたらしている文化表現の変化」という問題系だろうと思われます。例えば、よく知られるように新海や山田、そして今回の『打ち上げ花火』をはじめとする「アニメの擬似実写的演出」というのは、やはりこうした映像のデジタル化に伴う「実写とアニメの融合」という事態が深く関係しているはずだからです。映像の媒体がアナログ(フィルム)ではなくなり、デジタル合成やデジタル作画が主流になってくると、例えば昨今のハリウッドの「マーベル映画」などが典型的なように実写映像は限りなく「アニメ」と見分けがつかなくなってきます。アメリカの有名なメディア研究者レフ・マノヴィッチはこれを、「デジタル時代の映画とは、実写の部分を多く含むアニメーションの一例である」(『ニューメディアの言語』)と定義しています。また、アニメの方でも例えば「聖地巡礼」の舞台となるテレビアニメの背景画のように現実の風景写真をデジタルでトレースして作画するというようなスタイルが浸透していきます。もちろん、日本のアニメに実写レンズ的意識をレイアウトシステムとして導入したのは、何も彼らが最初ではなく、大友克洋や押井守など90年代以前から重要な前例はいくつかあったことはよく知られています。しかし、その試みが広くメディア表現として時代的意味を持つのは、やはりデジタルシネマやデジタル作画が完全に浸透したゼロ年代以降であったでしょう。アニメと実写の両方を手がける押井がかつて先駆的に述べたように、「すべての映画はアニメになる」状況がいま、本格的に到来しているのです。

 ともあれ、ここでもまた岩井と新海という名前は重要な意味を持ってきます。拙著を含めこれまでにも再三論じてきたように、岩井は、日本映画の監督の中でも早くから先端的なデジタル技術に関心を示し、自作の製作に積極的に取り入れてきた作家でした。短編『undo』(94年)ではノンリニア編集(Avid)、『四月物語』(98年)ではデジタルサウンドシステム、『リリイ・シュシュのすべて』(01年)ではHD24Pなどを日本映画で初めて、あるいは本格的に導入したことで知られています。そして、ここには近年の岩井が『花とアリス殺人事件』(15年)などで本格的に自らもアニメーション製作に乗り出していることも付け加えるべきでしょう。

 また他方、新海も、いうまでもなくデジタルアニメーションの先駆的な傑作『ほしのこえ』(02年)で脚光を浴びたことからも明らかな通り、デジタル世代のアニメを代表する作り手とみなされてきました。そして、こうした感性はもちろん、岩井に影響を受けた今回の『打ち上げ花火』の新房や大根にも共通しているでしょう。

 そして、ここで不意に気づかされるのは、他ならぬ岩井の『打ち上げ花火』にも実はその主題の中心部分に今日のデジタル的な感性を予言的に示す隠喩系が込められていたのではないかということです。そして、先取りしていえば、それは紛れもなく今回の『打ち上げ花火』の特徴的な演出にも受け継がれ、取り入れられているでしょう。

 例えば、この作品の物語の一つの軸を担っている、作中で少年たちが言い争う「打ち上げ花火は横から見ると、丸いのか? 平べったいのか?」という問い。思えば、これは「2D(平面)なのか、3D(立体)なのか?」という問いへと置き換えられるものです。そして、それはそのまま「平面=セルアニメか、立体=実写的対象か?」というメディウム的区分の連想へと発展しえます。そう、つまり、「打ち上げ花火は横から見ると、丸いのか? 平べったいのか?」という問いとは、もとよりネットや携帯端末といったデジタルメディアが本格的に普及する直前の93年に岩井から早くも投げかけられていたアナログとデジタル、フィルムとCGといったメディア的な対立と移行を隠喩的に問題化するモティーフでもあったといえるわけです。

 そして、おそらく今回の『打ち上げ花火』のスタッフは、その間に新海が達成した成果も踏まえつつ、24年前に岩井が投げかけた問いを「ポストメディウム」などとも呼ばれるデジタル環境が浸透しきった現在において、きわめてアクチュアルな形で作品に反映させているように思います。その例をいくつか挙げておくと、本作では画面の構図がアニメ表現にふさわしく、登場人物や物体の周囲を、空中を舞うようにグルグルと動き回るレイアウトが多数取り入れられています。なずなが自宅前で母親に連れ戻された後、典道が「もしも玉」を投げると、舗道の掲示板の前の空中で玉が浮いて止まる。映画の画面はその玉と典道の姿の周りをまるで虫のようにグルグルと巡ります。このもちろん原作ドラマにはない特徴的なカメラワークは、ある意味で現在、映画撮影でも主流になりつつあるGoProやドローンなどのモバイルな撮影端末による映像を観客に容易に想起させるでしょう。あるいは、物語の後半で典道となずなが見る、非現実的な形の打ち上げ花火の数々は、現実の花火というよりも、いまの私たちの目には、舞台パフォーマンスなどでも積極的に導入されているデジタル映像によるプロジェクションマッピングによく似ているのです。

 つまり、アニメ版『打ち上げ花火』には、原作放送からおよそ四半世紀の間に日本の映画や映像文化の中で浸透し、その本質の一部が昨年の『君の名は。』にも反映されていたメディア環境の変化(デジタル化)が、さまざまな文化表現や演出、主題となって巧みに込められているといえます。その意味で、本作はおよそ四半世紀前に岩井が投げかけていた映像をめぐるさまざまな問題に対し、現在の映画・映像をめぐる状況の中から一定のレスポンスを返した「リメイク」として示唆に富む作品になっているといえるのです。

■渡邉大輔
批評家・映画史研究者。1982年生まれ。現在、跡見学園女子大学文学部助教。映画史研究の傍ら、映画から純文学、本格ミステリ、情報社会論まで幅広く論じる。著作に『イメージの進行形』(人文書院、2012年)など。Twitter

■公開情報
『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』
全国東宝系にて公開中
声の出演:広瀬すず、菅田将暉、宮野真守、浅沼晋太郎、豊永利行、梶裕貴、三木眞一郎、花澤香菜、櫻井孝宏、根谷美智子、飛田展男、宮本充、立木文彦、松たか子
原作:岩井俊二
脚本:大根仁
総監督:新房昭之
主題歌:「打上花火」DAOKO×米津玄師(TOY’S FACTORY)
(c)2017「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」製作委員会
公式サイト:http://uchiagehanabi.jp/

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