欅坂46『残酷な観客達』が鳴らしていた“警鐘”とは? その奇妙な作風を振り返る

何かの予兆のような空気感

 ただ、一つだけ気掛かりなことがあった。第六話で鈴本美愉演じる12番が、密かに想いを寄せる先生を映画館へ連れ出すシーンで上映されているのが、ジャン・ルノワール監督の映画『ゲームの規則』(1939年公開)であった。他に相応しそうな映画なんていくらでもあるのに、作り手はなぜこの古いフランス映画を選んだのだろうか。

 そこで描かれているのは、浮気にばかりうつつを抜かし忍び寄る現実(第二次世界大戦)にまったく向き合わないフランスの上流階級の人々の風景であるが、当然、戦前に撮った映画なので「戦争へ向かわせることとなった愚かな国民性を暴き出す」なんてことは意図してなかったわけで、戦後になってから”結果として”予言めいた作品として高く評価されるようになったのだ。映画の中で登場する象徴的なセリフ<今は誰もが嘘をつく。薬の広告、政府、ラジオ、映画、新聞。当然、我々も嘘をつくようになる>というのは、単純に撮影当時のフランス人の習性を揶揄する言葉に加えて、その後にやってくる取り返しのつかないラストシーンへの伏線となり、さらには映画を飛び越えて、国に訪れる巨大な悲劇の前触れとして機能を果たすのだ。

 もしかすると作り手は、このドラマで我々に警鐘を鳴らしたかったのかもしれない。彼女たちと、彼女たちを取り巻く今の人々の状況を見て、何かしら危機的なものを感じ取ったのではないか。テンプレ通りの志望動機を言う就活生も、バイトを休む中年ニートも、会社取締役も、息子の教育方針に悩む主婦も皆、画面の向こう側が気になって仕方がない。それはまるで、現実から目を逸らし見て見ぬ振りをする、同映画に出てきた盲目な人々の姿だ。であれば今後、もしこのグループに、あるいはアイドル業界に、あるいは日本社会に、何か大きな悲劇が起きたとしたら、このドラマの評価は180度ひっくり返るだろう。どのシーンも、どこか予言的な空気で満たされているように感じるのだ。教室から見える空の異様な気持ち悪さ、全体的にどんよりとした色調、人が飛び降りる光景……。見ている我々をじわじわと蝕むそうした死のイメージに、どうしても悲劇を予感せずにはいられない。そう、このドラマ、何かが変なのである……。

■荻原 梓
88年生まれ。都内でCDを売りながら『クイック・ジャパン』などに記事を寄稿。
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