三島由紀夫原作『美しい星』を現代に蘇らせた、吉田大八監督の手腕

映画『美しい星』の設定の絶妙さ

 吉田(大八)監督の作品は全部観ています。間が絶妙ですよね。日本人じゃないとわからないニュアンスと言いますか。だからこそ、吉田監督の作品は共感を呼ぶ。日本映画としての意義を感じます。また、常にユーモアとシリアスの描写が曖昧で、シーン毎にどっちなんだろうと考えさせられます。『桐島、部活やめるってよ』でも、笑えるけど本人たちはいたって真面目というシーンが多々ありましたよね。本人がいたって真面目であればあるほど、観ている方は笑っちゃうんですよ。そこが今回、より際立っている印象を受けました。テンポ感も音楽もいいので、どんどん映画の中に引きずり込まれていきますね。

 三島由紀夫さんの原作はだいぶ前に読んでいたのですが、吉田監督の『美しい星』は時代や人物の設定などが原作と異なっています。時代設定が現代よりもちょっと先の未来ということや、父・重一郎が気象予報士であるというところが肝なんです。重一郎はテレビという公共の電波を通して、お茶の間に天気を伝えています。だからこそ、覚醒したあとの爆発力がすごい。加えて、気象予報士って毎日のように目にしているけど、ふわっとした存在じゃないですか。予報が外れたとしても謝罪会見を開かされるわけでも、取り立てて責められるわけでもない。毎日の天気はみんな気になるし、すごく大切なんだけど、なくてはならない存在ではないですよね。

 あとは劇中で重一郎が「リアルに体感しなきゃダメなんだ。空を見るのが仕事だ」って言って、毎日空を仰いでいるじゃないですか。その割に予報は外れていますが……。そんな空を見上げることが日課になっている人だからこそ、宇宙人に覚醒していくまでの過程が最もスムーズです。そして、クライマックスのUFOを呼び寄せるシーンまで、一連の流れが違和感なく繋がりますよね。気象予報士としての積み上げがあるからこそ、妙な説得力があってグッとくる。すごく絶妙な人物設定なんですよ。

 また、佐々木蔵之介さん演じる宇宙人の黒木は、ホラー的な怖さと存在感があります。SFホラーとしても成り立つ不気味さです。たとえば、地球の未来について激論が繰り広げられる最後のシーン。黒木はただ、衛星のごとくひたすらぐるぐると回っています。それも相手を見ないで、話しながら。もしMCバトルで相手が黒木のような行動をとってきたら、だいぶ圧倒されますね(笑)。いつでも誰でもできることなんだけど、誰もが絶対にやらない行動だと思うんですよ。だからこそ、地球外生命体を表現するに当たって、こんなにも簡単で恐ろしい表現方法があったのかと驚かされました。

 宇宙人に覚醒したと言い切る大杉家もまた、すごく奇妙じゃないですか。たとえば、中嶋朋子さん演じるお母さんの伊余子。大杉家唯一の地球人です。でも、そのお母さんが一番おかしい行動を起こしてます。“美しい水”という商品のマルチ商法に引っかかるんだけど、騙されているときが一番幸せそうなんですよ。お母さん含め、マルチ商法に引っかかっている奥様方はみんな、“美しい水”が素晴らしい水だと信じている。だから、いいものをみんなに教えてあげたいという善意で人に勧める。「私はいいことをしている」と信じているから幸福そうなんです。誰に感情移入するかでこの作品の見え方は変わってくると思いました。

 あと“美しい水”関連で言いますと、宇宙人がやってきたようなシーンでは実は“美しい水”が反応しているんです。“美しい水”はタダのなんでもない水だったのか、はたまた特別な水だったのか、その真意はとても曖昧に描かれています。亀梨和也さん演じる長男の一雄もまた、本当に未来予知能力があったのかどうか、濁してますよね。エレベーターの扉が開いた瞬間に、春田純一さん演じる鷹森議員が本当に射殺されていたのか真相はわからない。全て一雄の妄想だったとも言えます。

 『美しい星』が問いかけること

 今の日本映画って、作り手が優しいと言いますか、隅から隅まで丁寧に説明してくれる作品が多い印象です。しかし、『美しい星』はどこまでもグレーに描かれています。あえて明確に答えを提示しないことで、観客に自由に想像させます。つまり、観客それぞれに答えを委ねているんです。この作品の中には、様々な問いと何通りもの答えが詰まっています。ただ、答えがないからと言って、モヤっとはしない。スッキリとしたエンディングが用意されているからこそ、何かすごいものを観てしまったと鑑賞後に脱帽します。

 ほかにも、橋本愛さん演じる長女の暁子が海辺でUF0を呼ぶシーン。暁子本人はいたって真面目にUFOを呼び寄せようと努めています。しかし、作中では本当にUFOがいるのか、それとも光の加減でそう見えるだけなのか、はたまた強く信じれば真実になるということなのか、ただの思い込みに過ぎないのか、一体なんなのかがわからないですよね。でも、暁子もまたお母さん同様に、騙されてるときの方が幸せそうです。覚醒した後、と言いますか。普通の人間だったときは、自分に自信がなさそうでした。内気であまり話さない、何をしていても楽しくなさそうな女の子っていう印象です。でも、金星人に目覚めてからは、表情自体はあまり変わらないのですが、より一層美しくなったように感じます。特にミスコンの写真を撮るシーン。ほかの出場者はみんな笑顔でジャンプしているのに、暁子だけ「私、跳べません」と言って、無表情でUFOを呼ぶポーズを繰り返し行っていました。あのときの彼女は、自信に満ち溢れていて誰よりも綺麗です。

 だからこそ同作は、真実よりも何が本当の幸せなのかを追求しているように思えました。宇宙人として人生を全うする大杉家は、覚醒する前より輝いて見えます。特に重一郎は覚醒する前と後で、どちらが生き生きしていたか明確に描かれていますよね。ただ、先述したお母さんが没頭していたマルチ商法だけは、インチキが世間にバレた後のことまで描かれています。お母さんはじめ会員になっていた奥様方全員が絶望に打ちひしがれます。あれは、真実を知ることによって人はこんなにもダメージを受けることがある、ということを示していたのではないでしょうか。

 はたから見たらおかしいことでも、実は本人にとっての幸せが詰まってるってこともあります。吉田監督の『美しい星』の結末を見て、三島さんの原作よりもさらに“幸せ”というテーマに踏み込んでいる印象を受けました。現実にも自分の世界にどっぷり浸かってる人っていますよね。そんな人たちを見て憐れむ人もいますが、もしかしたら本人にとってはその状態が一番幸せなのかもしれない。自分たちの価値観や感覚にあっていないからと言って、勝手に不幸だと決めつけてはいけない、ということをこの作品を通して改めて気づかされました。世間一般的には、元の状態に戻すことが正しいと思われがちですが、彼らを肯定する必要もあるんじゃないか、と。

 吉田監督は、おかしい人を客観的に見た面白さを描くのと、何が本当の幸せなのかを問うのがうまいですよね。『紙の月』でも宮沢りえさん演じる梅澤梨花は、大学生と不倫するという行為に没頭し、夢から覚めない間はとても幸せそうです。相手が浮気しているという事実も、銀行のお金を使い込んでいるという現実も見えていないんですよ。彼女も客観的にみたら若い子に執着したおかしい人ですよね。また、『桐島、部活やめるってよ』に登場する高校生たちも滑稽さがあります。神木隆之介さん演じる映画部の前田涼也は、運動部のいわゆるスクールカースト上位組からみたら、蔑まれる対象ですよね。見た目も地味で、運動もできない。お前の人生何が楽しいの? って思われているわけですよ。でも、前田本人は映像を撮ることに幸せを感じています。イケイケの運動部と目立たない文化部。全部あるはずなのに不幸で、何もかもが足りないはずなのに幸福ってこともあるんですよね。でも、結局はみんな何者でもないんです。

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