沖縄国際映画祭、奥山和由プロデューサーインタビュー

映画プロデューサー・奥山和由が語る深作欣二、北野武、そして日本映画の現在

プロデューサーは作品にとっての父親

 

ーー奥山さんが作家として参考にしている監督とか、今までプロデュースした中で影響を受けた方を教えてください。

奥山:根っこの部分でいえば、間違いなく深作欣二なんですね。根っこっていうのは、映画と人間の関わり方っていう意味で。なぜテレビでなく映画なのかというと、要するにとことん表現ができる。だから、映画である以上、変なものを作るんだったらとことん変なものを作らなきゃいかんという、その感覚をもらったのは深作欣二からなんですね。好き嫌いでいうと本当はデヴィッド・リンチが一番好きなんですよ。あの、もわーっとした映像感覚っていうのが好きで、最も影響を受けてるかもしれない。そこに手を伸ばしてみたいっていうね。憧れという意味でいったら、それこそコッポラですよね。あそこにはいけないなと思いながら、ずっと見上げています。

ーープロデューサーとして作品に関わるのと、監督として関わる違いは?

奥山:プロデューサーは、作品にとって父親みたいなところがあると思うんです。子供に服を着せて、教育をして世の中に出したときに、ちゃんと1人で歩けるようにしていくのが役割。一方で監督は、母親と同じで自分の血肉を分けているわけで、世の中に「なんだ、お前その顔」って言われたとしても、「こんな可愛い子のどこが!」と言える立場ですよね。監督の方が圧倒的に作品に同化する権利がある。どっちが楽しいっていったら絶対監督の方が楽しいと思います。プロデューサーって中途半端ですよね。ただ、プロデュースには、世の中という巨大な化け物に対し向き合う、別の面白さがすごくあります。

 次にやろうとしている作品は、『熱狂宣言』(幻冬舎 小松成美 著)という書籍の映画化なんです。「外食業界のファンタジスタ」って言われながら、若年性パーキンソン病にかかった社長さんが奮闘する実話なんですけど、この話は出来すぎてると思ったんですよ。それで本人に会ってみたら、すっごく魅力的な男だったんです。本当に絶望を乗り越えてみせるという覚悟があって、熱狂を失うぐらいだったら死んだ方がマシだ、だから打ち込むんだという気迫に満ちている。この道徳の教科書みたいな言葉に、リアルに肌で感じる良さがあったの。それで本人を前にすぐに「ドキュメンタリーやりましょうよ」って声をかけて、始まっちゃったんですよ。外食産業の人だけど、要するに基本は商売じゃないですか。だから本当に世の中の反応というものを計算しているわけだけれども、そういう種類の人たちと話していると、「こんなにもクリエイティブな仕事なんだ」と感じるんです。映画界はいま、クリエイティブの部分がすごく虚弱になっていて、外食産業以上に逆算とか分析とか情報とか、それから既成概念なんかに縛られすぎて、なんとなくつまんないなと感じているんです。次から次へと、どこかの誰かに似た子ばかりが生まれるじゃないですか。そもそも、なぜ映画を撮りたいのかというと、そこに狂気があるからなんです。僕は、熱狂はすべてに勝ると信じている。深作欣二も五社英雄も、それからたけしさんも、熱狂の人だった。やっぱりいつかは、たけしさんと『ソナチネ』の続編をやりたいです。

ーーそれは見たいですね。

奥山:(北野武作品のプロデュースは)『ソナチネ』で終わってるから。一応、あれは彼が自殺するかたちで終わってるけど、強引に『ソナチネ』の2は作りたいですね。『アウトレイジ』を見れば見るほどそう思う。『アウトレイジ』の空気感と『ソナチネ』っていうのは似て非なるもので。やっぱり『ソナチネ』はツボにはまったと思ったんですよ。それこそ俺が松竹から追い出された理由にもなったけど。『ソナチネ』で5億使って2000万しか回収できなかったからね。でも、今やもう利益に転じていると思いますよ。やっぱりあの頃、たけしさんっていう才能に惚れてたんでしょうね。あれ、題名が最後の最後まで決まらなくて、撮影終了日が近いときに「たけしさん、そろそろカンヌにオファーしなきゃいけないから題名だけ決めようよ」って言ったの。『その男、凶暴につき』って俺がつけたんですよ。でも、たけしさんは俺が題名をつけたことに対してすごく抵抗感があったみたいで、しかもそれが評価されたものだから、内心「ふざけんなよな」って思っていたはず。そんな経緯もあってか「ロケバスの中で2人で話したい」って言われて、「なんで? ここで言えばいいじゃん」って言ったら「いやスタッフの見てるところで言いたくない」って言うんですよ。「奥山さんが、俺がこういう題名どうですかって言ったら、何それ?って顔するのを見せるのが嫌なんだ」って言うのね。「言ってみてよ、言ってみなきゃ分かんないじゃん」「じゃあ、今ロケバス空にして」って2人きりで、「やっぱり言いたくないな」「いいじゃん」って言ったら、『ソナチネ』って。「いい題名」「本当にそう思う?」「いいじゃん」なんてやり取りをして、決まったんですよ。

ーー北野武作品の中で、やっぱり『ソナチネ』は素晴らしいと思います。

奥山:そうでしょう。だから『ソナチネ』はプロデュースしていて、ある種の快楽があったんですよ。もともと5億の予算が組まれたのは、たけしさんが『ダイ・ハード』をやりたいって言っていたからなんです。楽屋で「本当に『ダイ・ハード』やりたいの?」って言ったら「うん、最後はビルからマシンガンでバーーーッて銃撃戦やって、ガラスと一緒に人が落ちてきたりするんだ」って言うわけ。『3-4×10月』でヘコんでたから、今度は娯楽作品で行こうかって言ってたの。でも娯楽作品って言いながら、舞台が石垣島になったわけですよ。石垣島って、当時は1日に1回しか飛行機が飛ばないわけ。なかなか現場に行けないの。それで現場から報告が来て、「本建築で家を一軒建てたので6千万かかりました」とか「道を作りました。8千万かかりました」なんて言うわけ。ラッシュを見て「家はどこに行った?」って言ったら、今度は「台風で飛びました」って。「本建築で建ってるんだったら跡形ぐらいどこかにあるだろ」「完全に台風で飛んだから撮ってこなかったです」「道は?」「たけしさんが道が必要だって言ったんだけど、やっぱいらねえやって言って。作るには作ったんですよ」って、「スチールかなんかあんだろ」って言ったら、ないって言うわけ。それでそれをそのまま報告書に書いて出したら、会社が訴えるって言い出した。

 それで板挟みになっちゃって、大モメにモメて、その段階でアート映画に切り替えたの。だから銃撃戦もすごいフラッシュバックのような印象的な銃撃戦になって、人は落ちてこないし、アクションにもなってない。そこから逆算して編集をやり直した。それで何を考えてるかわからない、現代病みたいなヤクザの主人公っていう風になったわけ。仕上げにアート映画ですっていうスタンプのような冒頭をつけて、ようやく出来上がったと。トラブルに対応するために全部そうやって変えていったら、うまいこといっちゃったんです。あれは神が降りてきた傑作で、それだけの人柱も何人も立った映画です。映画は本来、そういう偶然が積み重なって傑作が生まれたりするじゃないですか。今はもう考えられないよね。5億でスタートしたものを、急にアート映画に作り変えるなんて。でも、そのくらいのことをやって、はじめて北野武という巨匠が生まれるんです。そしてきっと、これから北野武になる可能性を持った人材はいるんだと思います。でも、いまはそういう母親(監督)を頑張らせる父親(プロデューサー)がいないんです。

ーー最後に、エグゼクティブ・ディレクターとして、沖縄国際映画祭の特色、狙いを教えて頂けますか?

奥山:「島ぜんぶでおーきな祭」という名称になってからもう4年が経ってるんですけど、その変化の中で、映画はコンテンツのひとつになりました。最近は、NetflixやHulu、YouTubeなどによって、ネットを中心にコンテンツが多様化しています。単に映像作品といっても、その媒体の特性によって長さも表現も機材も全部が違うわけです。そうした現在の状況に即して、ありとあらゆるコンテンツのフェスティバルになっているのが、今の沖縄国際映画祭だと思います。沖縄を舞台に、各媒体に向けたコンテンツを提供するクリエイター、またはプレイヤーを育てるための祭りというイメージです。当初は「映画界と融合しながら、その映画会社のもので一番有力なものを持ってくることができたら」という構想があったみたいですが、そうこうしているうちに吉本の芸人さんの才能が次から次へと芽生えていった。たとえば、鉄拳がパラパラ漫画を作ってみたり、又吉さんが『火花』を書いてみたり。芸人さんが様々な方法で表現を確立していく中で、吉本興業の独立した映画祭として自信を付けていった部分はあると思います。そしてそれが、多様なコンテンツを発表する場としての沖縄映画祭を育てていったのではないかと。5年後、10年後に、この映画祭を通してさらに新たな才能が生まれることに期待したいです。

(取材・文=小野寺系/写真・構成=松田広宣)

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