モルモット吉田の『3月のライオン』評:比較で浮かび上がる羽海野チカの世界
昨年高い評価を得た『湯で沸かすほどの熱い愛』(16年)も、ドラマがてんこ盛りだった。宮沢りえが末期がんで余命がわずかという設定はいいとして、そこから始まる物語が、不幸のつるべうちなのである。家を出ていった夫に会いに行くと、夫は愛人が置き去りにした女児と暮らしており、りえはその女児も引き取って育てるようになる。そして実の子として育てていた娘には実母がおり、りえも実は片親で死ぬ前に実母に会いたいと語る。さらに母親探しを頼んだ探偵の娘にも母親がいない。誰もが喪失を抱えて生きているということらしく、巧みな演出で口当たりよく観ていられるが、ここまで過剰に問題を盛り込まねば映画にならないものだろうかという疑問が残る。
『3月のライオン』にも同様の疑問を抱くのだが、大友啓史監督は喪失感を抱えた者たちが織りなすてんこ盛りの物語を演出するにあたって、一歩引いた視点を崩さない。既に物語が充分すぎるほど過剰に設定されているので、派手に飾り立てるようなことをしなくとも、むしろ淡々とした演出に徹することで調和が取れるからだ。対局シーンにしても、『バクマン。』(15年)の様な映像技巧を凝らした派手な見せ方になってもおかしくない作品だが、『聖の青春』と大差ないような正攻法の撮り方で見せており、こうした演出の強弱を自覚的に用いたことが功を奏し、前後編ともに見せきってしまう。
ところで、前後編にまたがる実写映画は、『3月のライオン』と『サクラダリセット』以降は当面ないと思うが、近年の前後編映画を一通り観た上で言うなら、映画監督よりもテレビ出身の監督の方が捌き方は上手いようだ。連続ドラマを多数手がけていた大友啓史だけに、2時間で完結させる映画とは異なる話法を用いて、前編のみでも大枠は終わらせつつ、後編へ接続する伏線が巧みに配置されている。かといって、大きな謎を残して後編に引っ張るような消化不良を起こさせることなく、後編は後編として、どう進んでいくかと期待させる作りなのも好感が持てる。
映画と比較の話にもどれば、『3月のライオン』はタイトルの語源となった日本映画『三月のライオン』(92年)と対比される運命を最初から背負っている作品だが、この映画自体が〈前編/後編〉と比較をされることに、むしろ挑戦的に向かいあっているとも思えるだけに、対比させることでいっそう鮮やかにこの作品の世界が反芻できるようになるはずだ。
■モルモット吉田
1978年生まれ。映画評論家。「シナリオ」「キネマ旬報」「映画秘宝」などに寄稿。
■公開情報
『3月のライオン』
【前編】公開中 【後編】4月22日(土)2部作連続・全国ロードショー
監督:大友啓史
原作:羽海野チカ『3月のライオン』(白泉社刊・ヤングアニマル連載)
脚本:岩下悠子、渡部亮平、大友啓史
音楽:菅野祐悟
出演:神木隆之介、有村架純、倉科カナ、染谷将太、清原果耶、佐々木蔵之介、加瀬亮、伊勢谷友介、前田吟、高橋一生、岩松了、斉木しげる、中村倫也、尾上寛之、奥野瑛太、甲本雅裕、新津ちせ、板谷由夏、伊藤英明、豊川悦司
製作:『3月のライオン』製作委員会
制作プロダクション:アスミック・エース、ROBOT
配給:東宝=アスミック・エース
(c)2017 映画「3月のライオン」製作委員会
公式サイト:3lion-movie.com