神山健治監督『ひるね姫』はアニメ業界の未来を示唆するーー新たな作風に隠されたメッセージ

 『ひるね姫 〜知らないワタシの物語〜』は、「えっ、これが神山健治監督の作品?」と、面食らってしまうくらい、いままでにないポジティブな雰囲気と、豊かな感情表現にあふれた作品だ。神山健治監督といえば、自身が「押井監督の影武者」などと発言していたように、師とも仰ぐ押井守監督の難解な作風の強い影響下にあるアニメーション監督である。それが、今回全く異なる試みを行っているように見える。ここでは、本作がそうなった理由と、作品の背景にある隠されたメッセージを読み取っていきたい。

 暗い雰囲気の中で難しい話が繰り返され、しかしそれが一種の芸ともなっている押井作品は、従来のアニメーションを逸脱するような唯一無二の世界観と哲学的テーマによって、世界に広く熱狂的ファンを持つ巨匠だ。その作品は、ハリウッドで活躍する、『マトリックス』のウォシャウスキー姉妹監督や、『パシフィック・リム』のギレルモ・デル・トロ監督のような、先鋭的な映画監督に決定的な影響を与えている。その押井監督の代表作を引き継ぐ、『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』、またオリジナル作品『東のエデン』や、石ノ森章太郎原作の『009 RE:CYBORG』など、神山監督作には、やはり押井作品の影を追うように、娯楽性やアクションをとり入れながらも、ダークなトーンを持った難解な会話劇という側面が与えられている。

 

 だが今回は、『君の名は。』や、『聲の形』がそうであるように、今までのマニアックな要素を最大限にメジャーな方向に持って行くという試みが行われているように感じる。この潮流というのは、いままで絶対的な存在として支持を集めていた宮崎駿監督の高齢化と、そのメジャー路線を引き継ぎ得るほどの大きな才能が不在であるという状況にも関係がありそうだ。「ポスト宮崎」という、空席となっている王座に到達できれば、国内メジャー路線のシェアを一気に獲得できるチャンスが生まれているのである。

 本作『ひるね姫 〜知らないワタシの物語〜』でハッキリしてきたのは、神山監督の作家性というのは、じつは分かりやすい娯楽性にこそあるということだった。たしかに押井作品を想起させる、いままでの作品群には暗い印象がつきまとっているものの、そこには、ある程度明快な説明によって多くの観客に理解を促すようなサービス精神もあった。この相反する特徴が、いままで神山監督自身の突出した個性というものを見えにくくしていたのかもしれない。本作では、押井的な難解さを、はじめからかなりの部分取り払ってしまうことで、もともとの明快な娯楽的資質が一気に解放された印象がある。

 

 女子高生の主人公、森川ココネの表情がいきいきと、目まぐるしく動く。この登場人物を、観客に好きになってほしい、感情移入してほしいという情熱が、痛いほど伝わってくる作画だ。このような表現は、王道的な大衆娯楽の従来の類型にはまるということであり、ある意味では泥臭い演出になっているともいえるだろう。だからこそ、そこには、メジャーな価値観のなかで自分を試すという、いままでにない覚悟を感じるのである。

 物語は、居眠りばかりしている森川ココネが、自分の見ている夢の世界が現実の自分の家庭や、その周囲の問題とリンクしているということに気づき、その夢の世界で現実の問題を解決するカギを探すというものだ。小さな自動車修理工場を営む父親と、すでに亡くなっている母親、その背景にある、大きな自動車会社との確執。人間の手による運転と、コンピューターによって制御される「自動運転技術」との狭間で揺れる、自動車会社が直面する課題。夢の中ではそれが、全ての人が機械づくりにたずさわっている「ハートランド」という国として、またその状況が、機械の力を尊ぶことで、機械に意志を与え、自動で動かすことのできる「魔法使い」が迫害されるという描写によって、かたちを変えて表現されている。そして、この国を守るために活躍する巨大ロボットは、工場の従業員たちの重労働と低賃金によって建造され、自転車型の装置に乗った乗組員たちの献身的で涙ぐましい努力によって、人力で操作されているのだ。

「日本アニメの寿命はあと5年」

 日本を代表するアニメーション監督の一人である庵野秀明は2015年に、そう発言し物議をかもした。現在の日本のアニメーション製作はかろうじて成立している状態であり、その崩壊は時間の問題であるという。 これは、「日本はアニメ先進国」であり、未来永劫続くものだという、アニメファンの幻想を揺るがすような意見である。

 

 もともとアニメーション製作というのは、膨大な作業量を要するプロジェクトだ。にも関わらず、供給過多ともえるほど、多くの作品で賑わっている日本のアニメ業界というのは、じつは、末端のスタッフたちが低賃金、重労働の待遇を甘んじて受け入れることで、無理に成り立っている状況にあるのである。離職率も極めて高く、実際に、筆者の学生時代からの友人も、一時期アニメーターとなったものの、生活のため転職を余儀なくされた。

 押井守監督は、過去の劇場長編作品『うる星やつら オンリー・ユー』において、スケジュールが間に合わず、スタッフの家族や親戚を呼んで、セル画に色を塗らせたりしたが、それでも追いつかず、最終的には会社の外を歩いてる通行人を呼び止めて作業を頼んだと回想している。ここまでの例はさすがに珍しいとはいえ、いまでは世界的なアニメーション映画監督となっている押井監督や庵野監督が、これまで突出したクオリティーでアニメーション作品を作り続けてきた下には、このような数々の犠牲者の屍が積み重なっているのだ。これが「アニメ先進国」の実態である。だが、いつまでもそんなことが続くわけがない。庵野監督が2006年に立ち上げた制作会社カラーが、スタッフの人材育成を重視し、福利厚生を改善するために設立されたように、業界の一部では、この種の問題をなんとか好転させようとする努力も見られる。

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