デヴィッド・リンチの“映像ドラッグ”再来かーー『ツイン・ピークス』が27年ぶりに復活する意味

『ツイン・ピークス』シリーズの楽しみ方とは

 本シリーズは、「パイロット版」、「ドラマシリーズ(ファーストシーズン+セカンドシーズンの全29話)」、「映画版」という順番で作られている。観る順番を間違えると、ただでさえ複雑な内容が、全く訳が分からなくなってしまうので注意が必要だ。とくに、映画版は事件の起こるまでの真相が描かれた前日譚が主要部分であるため、これを先に観てしまうと、ドラマシリーズにおけるミステリーへの興味が薄れてしまう。「とりあえず映画版から観てみよう」というのは、やめた方がよいだろう。

 『ツイン・ピークス』はシリーズを通して、その全てが高い評価を得ているわけではない。ロケ撮影を中心に行えたパイロット版に比べて、それ以降はセットを使った屋内での撮影が主になり、田舎町に宿る霊気のようなものは希薄になっていったし、とくにセカンドシーズンの後半は、デヴィッド・リンチ自身が演出するエピソードが減ったことで緊張感が無くなっているものもある。ローラ・パーマー殺害事件がなかなか解決しないことに、いら立ちを感じる視聴者が増えてきたのも事実だ。

 デヴィッド・リンチとマーク・フロストなどによって創造された原案や脚本は流動的で、散りばめられた謎や、ドラマの展開によってテーマを描いていくというよりは、町で起こるドラマを描くこと自体がテーマであるように思われる。その意味では、シリーズ中で、最も作品の本質が表れているエピソードは、「パイロット版」ということになるだろう。パイロット版とは、アメリカでドラマシリーズの企画を通すため、最初に作る作品である。この内容が面白くなければ、企画はお蔵入りとなってしまう。

 このパイロット版は、実質的な第1話にあたるので、DVDなどのソフトの最初に収録されているが、じつは、パイロット版には、ヨーロッパ向けに作られた「インターナショナル・バージョン」というものも存在する。このバージョンでは、仮のラストシーンが加えられているため、ドラマとしては暫定的なものになっているが、シーズン途中で放映された「赤い部屋」のシーンも加わっているため、単体エピソードとしては、ある意味「決定版」といえるものになっている。『ツイン・ピークス』の良いところだけを「原液」として楽しみたいのであれば、このバージョンを観てもらいたい。とはいえ、物語のつながりとしては、新シーズンを楽しむため、ドラマシリーズもやはり全部観なければならない。

 そして、セカンドシーズン最終回を見終わった最後に、映画版を体験してほしい。デヴィッド・ボウイもゲスト出演している、この映画版では、さらにその先の前衛的な世界に突入し、当時のデヴィッド・リンチが表現の限界に挑戦した意欲作だ。その難解さと先鋭さゆえに、多くの人に支持されるパイロット版とは異なり、カンヌ映画祭ではブーイングを浴びるなど賛否は分かれたものの、それまでの『ツイン・ピークス』とは比較にならないくらい、ものすごいことになっている。覚悟して臨んでほしい。

デヴィッド・リンチは大きな魚をつかまえたか

 デヴィッド・リンチは『ツイン・ピークス』以降、『ロスト・ハイウェイ』、『マルホランド・ドライブ』、『インランド・エンパイア』と、ノワールと狂気と美しさに満ちた、誰も到達できない領域の傑作を撮り続け、新作を撮る度に期待をはるかに上回るものを提供してきた、本物の天才である。だがここ数年は、創作的な映画企画からは離れ、ドキュメンタリーを撮影したり、パリの歴史あるアトリエで石版画の製作に熱中していた。

 本人はそのことについて、「映画にするほどの大きなアイディアが浮かばなかった」と、アイディアの枯渇を告白している。寡作ながら、これまでのリンチの映像作品の充実から考えれば、そのような状態になってしまうのも、当然といえば当然だろう。

 リンチにとってアイディアとは、内面から生まれ出るものでなく、天然に存在する、まだ発見されていない「何か」なのだという。リンチはクーパー捜査官同様、瞑想しながら、そのイメージをつかまえようとする。それをリンチは、「大きな魚をつかまえる」と表現する。「大きな魚」が生息する深度まで、瞑想によって深く深く潜航することで、リンチはまだ誰も見たことがない獲物と出会うのだ。

 今まで続編企画を否定し続けてきた彼が、今回ついに乗り出す気になったということは、やはり「何か」に出くわしたということなのかもしれない。果たしてリンチは、「赤い部屋」を作り出したときと同じくらい、あるいはそれ以上の「大きな魚」をつかまえることができたのだろうか。それは、新しい『ツイン・ピークス』というかたちで、もうすぐ明らかになるはずだ。

■小野寺系(k.onodera)
映画評論家。映画仙人を目指し、作品に合わせ様々な角度から深く映画を語る。やくざ映画上映館にひとり置き去りにされた幼少時代を持つ。Twitter映画批評サイト

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