『ファンタビ』の魔法使いは強すぎる!? ダースレイダーが“魔法のあり方”を考える

 『ハリー・ポッター』シリーズのファンであれば待望の、そして長大なシリーズに途中参加する機会がなかなか見つけられなかった人には格好の新作登場ではないでしょうか?

 舞台は1920年代のニューヨーク。イギリスで展開してきたシリーズが大西洋を越えてアメリカ大陸へ。魔法の世界にも人間界と同じように地方色があり、言葉遣いも異なります。実際、人間を指す言葉も英国魔法界ではマグル、米国ではノー・マジと呼ばれています。こうした文化ギャップ・ギャグも用意されていて、シリーズの世界に親しんでいる人には嬉しい仕掛けが多いと思います。

 

 登場人物が大人中心にシフトした事もあり、物語にも落ち着きと少々のロマンスが加わります。主人公は、非常に英国的で風変りな魔法動物学者スキャマンダーをエディ・レッドメインが好演。今作のタイトルは彼が書いた、ホグワーツで使用されていた教科書のタイトルでもあります。ヒロインは、キャサリン・ウォーターストンがとてもチャーミングに演じる米魔法省(マクーザ)の職員、ティナ。脇を固めるのは、ティナの妹で非常にセクシーなアリソン・スドル演じるクイニーや、超スタイリッシュなコリン・ファレル演じるグレーヴス(とにかくコート姿がイケてます)、親しみやすい狂言回し役のノー・マジ、ダン・フォグラーが演じるコワルスキらで、それぞれにいいキャラしてます。コワルスキは、そういえば『グラン・トリノ』でクリント・イーストウッドが演じる主人公と同じ苗字。ポーランドからの移民なのでしょうか。そんな彼らが魔法を駆使して大活躍! と言ってふと立ち止まります。

 魔法とは一体なんなのでしょうか? 当たり前の如く魔法という言葉を使っていましたが、そもそも魔法とはなんであるか? ちょっと考えてみました。Wikipediaによれば、「魔法は常人には不可能な手法や結果を実現する力である」と説明されています。日本における魔法のイメージは超常的な力で、とくに西洋のイメージが強いと思います。英語におけるMagicやWizardry、Witchcraftといった複数の概念の総称が魔法と言えます。「魔」という言葉にさらに注目して、キリスト教圏における「魔」、そしてそこから派生する白魔術、黒魔術など細部に分け入っていくとまた楽しそうですが、ひとまず日本における魔法のイメージを辿ってみます。

 僕がぱっと魔法という言葉でイメージするのは『ドラゴン・クエスト』シリーズや『ファイナル・ファンタジー』シリーズに代表されるゲームのものです。もともと『ダンジョン&ドラゴンズ』といったロールプレイングゲームにおいて体系化していったものだと思いますが、なんといってもメラ!ホイミ!ケアル!フレア!ですよね。シリーズ初期作における魔法と魔法使いのイメージはかなり刷り込まれているのではないでしょうか? 魔法はゲームにおける攻撃、回復、移動などに使用されますが、使用者は基本的に知力に長け、体力に劣ります。ドラクエの魔法使いはどんなにレベルが上がってもすぐやられてしまいますよね。でも強力な魔法を使うことへの交換条件としてバランス良い設定だと思います。

 他のイメージとしては、ジブリアニメの『魔女の宅急便』は魔法を学習しながら成長する話としてハリー・ポッター・シリーズとも近いかもしれません。漫画『ベルセルク』では後半、魔女シールケが登場します。彼女はその土地土地の精霊と契約を交わすことで魔法を使います。このイメージは非常にわかりやすいです。魔女は現世と幽界を行き来出来る存在で体力はすごく弱いし、大掛かりな魔法を使うと疲れます。これも強力な魔法との交換条件としてバランスが良い設定です。

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