佐藤健は映画俳優として過小評価されているーー観客の内面を映し出す『何者』の演技の凄み

佐藤健は映画俳優として過小評価されている

 『何者』は、5人の就活生の物語であり、Twitterをめぐるディスコミュニケーション論でもある。群れることが孤独を突き詰めることにもなる、実に現代的な集団=社会論でもある。内定を目指して共に切磋琢磨しているかに見える大学生たちの深層の断面図が、ディスカッションドラマにも思える展開のはざまから、軋みのようにこぼれ落ちていく。

 佐藤健はここで一見ストーリーテラーにように見えて、まったくそうではなくなる主人公を演じているが、基本的に、あらゆる事態を前にして受けの芝居だけを積み重ねており、しかも、明快に表情が掴み取れる瞬間はほとんどない。

 かといって、無表情というわけでもない。動揺はある。焦りもある。好きなコを前にドキドキしたり、ルームメイトを前にカッコつけたりということもある。だが、すべてが微細な揺れに留まっており、肝心なものはどこかに仕舞われていて、蠢きは不明の場所で灯されているかのようだ。こうした、最低限の所作が、終盤の急展開に効いてくるわけだが、佐藤健の演技は、単純に作品の説話構造に奉仕しているわけではない。

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 真に素晴らしい演技表現は、観る者の精神状態によって変幻するものだが、『何者』の佐藤健はまさにそうだった。わたしは二度この映画を観たが、印象がまるで違った。

 一度目は彼の姿が亡霊に思えた。二度目はひどく無防備な生きものに見えた。それは、佐藤健が、ある特定の主張の下に人物造形をしていないからだと思う。これはキャラクターに余白を与える、どころの話ではなく、余白だけでキャラクターを作り上げているからである。

 無表情ではない、と書いたが、『何者』の佐藤健の顔は能面を思わせる。能面は、観客が見る角度によって、表情が変わる。あるときは哀しくも見えるし、あるときは和やかにも見える。光の加減によっても、能面は変化する。いや、正確に言えば、何も変化してはいないのだが、変化したように見えるのだ。

 主人公は劇中で何度もスマートフォンを覗きこむ。その都度、彼の顔はスマホの光源を浴びる。照らし出されるその顔は、わたしたち観客の内面を映し出す鏡である。この物語を傍観する者も、この物語に感情移入する者も等しく、佐藤健の、いかようにも受け取れるあの顔の数々に、侵食されるだろう。おそろしいことが、そこでは起きる。

 主人公の名前は、拓人。人を拓く。わたしたちの内面を確実に拓く、静かにして凄絶な佐藤健に、個人的な最優秀主演男優賞を進呈したい。

■相田冬二
ライター/ノベライザー。雑誌『シネマスクエア』で『相田冬二のシネマリアージュ』を、楽天エンタメナビで『Map of Smap』を連載中。最新ノベライズは『追憶の森』(PARCO出版)。

■公開情報
『何者』
全国公開中
原作:朝井リョウ(『何者』新潮文庫刊)
監督・脚本:三浦大輔
音楽:中田ヤスタカ 主題歌:「NANIMONO(feat.米津玄師)」中田ヤスタカ(ワーナーミュージック・ジャパン)
企画・プロデュース:川村元気
出演:佐藤健、有村架純、二階堂ふみ、菅田将暉、岡田将生、山田孝之
(c)2016映画「何者」製作委員会 
(c)2012 朝井リョウ/新潮社
公式サイト:http://nanimono-movie.com/

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