ストーカーが怪物として描かれない怖さーー『だれかの木琴』で常盤貴子が演じる狂気

 プロローグ。ヒロインは無垢な子どものように眠り、目ざめる。それは彼女が映画ではじめてみせる表情だ。それはつかの間の安寧か。彼女は生まれ変わったのだろうか。井上陽水の主題歌が新たな不安をかきたてながら映画は終わる。

 常盤貴子は内面をまったく感じさせない難しい役柄をよく演じきった。文字どおりの幻のドラマ『悪魔のKISS』(93年)から23年、日常のなかでくすんだ主婦が生気を取り戻してゆくという演出意図を、彼女の美貌が裏切るようにみえるのはやや計算ちがいだったか。

 

 2016年は公開待機作も含め9本の映画に出演した池松壮亮。ハサミで髪の毛をカットする繊細な手つきをはじめ、いかにも美容師らしい佇まいがよい。ほとんど撮影所時代のスターなみの多忙のなかで、多彩な役柄を引き受けて果敢に演技の質を高めていることを称賛したい。

 東陽一監督は82歳にしてなお若々しく、緊張感の途切れない演出をみせる。とりわけ音響と音楽の使いかたに神経を払っている。すべての解釈を観る者に委ねる作劇は不親切ともいえるが、現代の映画へのみごとなアンチテーゼとなっている。一方で電車内のスマホの列でひとり位牌を撫でる女性、リビングでの無言の携帯メールでの会話といったオリジナルの要素は井上荒野の原作に拮抗する強度を持ち得ていないとみるが。それにしても女性の社会進出の躍進を背景に、『もう頬づえはつかない』(79年)、『四季・奈津子』(80年)、『マノン』(81年)、『ザ・レイプ』(82年)といった一連の作品で女性映画の可能性を拡げた監督がいままた女性を主人公にした映画を撮り、これだけ野心的な内容をキープしているのは驚異的である。

■磯田勉(フリーライター)
「映画秘宝」「映画芸術」などに執筆。

■公開情報
『だれかの木琴』
9月10日(土)有楽町スバル座、シネマート新宿ほかにて全国公開
出演:常盤貴子、池松壮亮、佐津川愛美、勝村政信
監督・脚本・編集:東陽一
原作:井上荒野「だれかの木琴」(幻冬舎文庫)
主題曲:井上陽水「最後のニュース」
企画・製作:山上徹二郎
製作:『だれかの木琴』製作委員会
制作プロダクション:シグロ、ホリプロ
配給:キノフィルムズ
上映時間:112分
(c)2016『だれかの木琴』製作委員会
公式サイト:www.darekanomokkin.com

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