監督と助監督、それぞれの仕事 菊地健雄インタビュー「映画人である前に、社会人として」
助監督から監督へ
−−撮影所がシステムとして機能していた時代は、助監督を数本務めたのちに監督を任せてもらえるという仕組みがあったわけですが、フリーの今は中々難しい部分もあるかと思います。昨年、『ディアーディアー』で監督デビューを果たしたわけですが、今後の活動としてはどのようにお考えになられているのでしょうか。
菊地:本音を言えば、助監督を卒業したいという思いはあります。助監督として多くの作品に携わりましたが、監督をやってみないと分からないことがいっぱいありました。助監督の仕事というのは準備から入って撮影まで、という形がほとんどで、シナリオの打合せや編集の仕上げ、完成後のプロモーションなどは関与しないことが多いんです。監督として作品を作り続けることで鍛えられていく部分があるというものがあるはずなので、監督業一本に絞るべきだとは思っているんですが。ただね……、単純に生活していくための仕事もしなくてはいけないし、助監督としてお世話になった監督方が新作を撮るとなれば協力したいとも思ってしまう。難しいところですねえ。でも、撮影所の時代は、一度監督になった人は助監督に戻らないというのが当たり前だったんですけど、今はフリーなのでその辺りの横断が自由で、どちらもできるという環境ではありますね。業界的にも助監督が枯渇しているというのもあります。
−−監督専念となりたくてもそうはできない現実もあると。
菊地:監督としてやっていくのか、生活のために助監督でやっていくのか、その選択肢をつきつけられている方は多くいると思います。そもそも、“助監督”から監督へ、というのは日本独特なんですよ。アメリカやフランスでは、助監督(アシスタント・ディレクター)は、プロデューサー志望の人が多いと聞きます。スケジュールを組んだり、撮影の事前準備をしたりというのは、予算とも直結することなので、プロデューサーを目指すのは確かに合理的なんです。海外では監督(ディレクター)になるというよりも、プロデューサーの方が作品を動かせるというのも大きな理由の一つのようですが。
盟友・染谷将太
−−『ディアーディアー』には染谷将太さんが出演されていますが、逆オファーだったという話を他のインタビュー記事で拝見しました。一緒に映画を観に行ったりするなど、とても仲がいいとお聞きしたのですが、二人の関係性を教えていただけますか。
菊地:まだ駆け出し助監督の頃、『地獄小僧』(05年/監督:安里麻里)で染谷くんと出会いました。彼がまだ12歳の頃でしたが、オーディションなどで見かける度に存在感があって、一緒に仕事をしてみると他の子役とは違う雰囲気を持っていましたね。でも、この頃は小学生でしたから、まさか後に友情が芽生えるとは思ってもみませんでした(笑)。
−−“友人”となったのはいつ頃だったんですか。
菊地:決定的だったのは『嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん』(10年/監督:瀬田なつき)の頃ですね。そこに至るまで手伝いにいった現場などでよく話すようになって、すでに仲良くなってはいたんですけど、二人だけで出かけるっていうのはこの頃からだったかなあ。まだ未成年だったので、連れ回すわけにはいかなかったんですけど、映画を観たり、ご飯を食べに行ったりという感じで。趣味が合ったんですよね。彼は早熟というか、僕が面白いと思う映画も面白がってくれましたし、音楽や写真の趣味もあって。
−−数年後、子役で出会った少年の奥さん(『マチビト~神楽坂』で菊地凛子が主演)を撮るようになるとは思いもよりませんよね。
菊地:仲良くなった頃は、大きな映画で主演を務めるような役者になるとは思ってもいませんでしたからね。思ってもいない、という言い方は違うか。びっくりはしているんですけど、ポテンシャルがあるのは分かっていたので、そうだよねという感じかな。子役の頃から面白い奴だったし、芝居も人を惹きつけるものを持っていましたから。ただ、そのスピードはこちらの予想以上の早さでしたね。
−−メジャー映画とインディペンデント映画を横断的に活動できる役者という意味でも、染谷さんが日本映画界に与えている影響は大きいですよね。
菊地:染谷くんは高校の頃から自主映画も作っていたし、現場ではスタッフと仲良くなるタイプですからね。演じることが彼の天職だとは思いますけど、裏方にもなれる器量もあります。すでに監督作を撮っていますけど、いい役者はいい監督になると思うので、ジョン・カサベテスやクリント・イーストウッドのようになるかもしれない。子供の頃から見ているので不思議な感じもありますけど、映画を作る仲間の一人であり、友人でもあるという存在ですね。