スポーツ界最悪の薬物スキャンダルの真実ーー『疑惑のチャンピオン』が問いかけるもの

『疑惑のチャンピオン』が描く倫理観

 本作独自のアプローチとして面白いのは、近年成長著しい俳優ジェシー・プレモンスが演じる、ランスを告発することになるチームメイト、フロイド・ランディスの存在が大きく扱われているという部分だ。彼はメノナイト派という宗教の、電気や20世紀以降の文明の利器を排除し自給自足を奨励する、アメリカの素朴なコミュニティで育った。夜中に家をこっそり抜け出して自転車の練習に出かけると父親に見つかり、「楽しみのために自転車に乗ってはいかん」と叱責されるという少年時代の一場面が、本作に挿入されている。自転車競技の世界に足を踏み入れたランディスは、著名なランスのチームに誘われたことで有頂天になり、深く考えずランスに促されるままドーピングをはじめることになる。当時の彼の心境は、カフェでコーヒーをがぶ飲みしカップを積み上げるという無計画で奔放なシーンによって見事に表現されている。しかし、ランスの権力を利用した厚顔無恥な振る舞いや、チームが自転車を売却してまで薬物を購入していた事実を知ることで、ランディスの心は次第にチームから離れ、また故郷の英雄としてコミュニティーから賞賛されることで、罪の意識が増大していく。フロイド・ランディスは、その意味で一般の人間の感覚に近いといえるだろう。その彼と対比させることで、ランス・アームストロングの大胆さや異常性が際立つ。この差異によって本作は「何のために自転車に乗るのか」という本質的疑問を、より明確なものとして投げかけることに成功している。

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 スポーツの世界に限らず、学校や職場でも多かれ少なかれ競争がある。薬物によって簡単に自分の能力がアップするのであれば、その選択は誰にとっても魅力的な誘惑となるだろう。だから、自転車競技に今まで興味を持たなかったというフリアーズ監督は、この事件を人間の倫理観を扱った普遍的な問題として描いている。叙情的なシーンの少ない本作で印象的なのは、ドーピングが発覚したランディスがチームから拒否される姿を逆光でとらえた場面と、やはりドーピングが発覚した後のランスを捉えたラストシーンである。ランスが水場に飛び込む下降のイメージと、その後自転車で坂を登っていく上昇のイメージを並べ、社会的転落が、同時に人間として再びスタートすることのできるチャンスとしても表現されている。ここでは、「何のために自転車に乗るのか」という問題が「何のために人は生きるのか」というテーマにまで昇華されているのである。

■小野寺系(k.onodera)
映画評論家。映画仙人を目指し、作品に合わせ様々な角度から深く映画を語る。やくざ映画上映館にひとり置き去りにされた幼少時代を持つ。

■公開情報
『疑惑のチャンピオン』
公開中
監督:スティーヴン・フリアーズ
原案:「Seven Deadly Sins: My Pursuit of Lance Armstrong」デイヴィッド・ウォルシュ著
出演:ベン・フォスター、クリス・オダウド、ギヨーム・カネ、ダスティン・ホフマン
2015年/イギリス/英語/103分/シネマスコープ/カラー/音声5.1ch/原題:The Program/日本語字幕:稲田嵯裕里 
提供:松竹・ロングライド
配給:ロングライド
公式サイト:movie-champion.com

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