脚本家・演出家/登米裕一の日常的演技論

門脇麦の“もどかしさ”はなぜ人を惹きつける? 若手演出家が『二重生活』の演技を考察

 若手の脚本家・演出家として活躍する登米裕一が、気になる俳優やドラマ・映画について日常的な視点から考察する連載企画。第六回は、現在公開中の映画『二重生活』にて、“尾行”という行為に魅せられた哲学科の大学院生・白石珠を演じる門脇麦を考察。彼女が持つ“もどかしさ”の中にある魅力とはーー。(編集部)

 本当は大丈夫じゃないのに「大丈夫」と答える人をよく見かけます。でも「大丈夫?」と聞かれて「大丈夫じゃないです」と答えるのは難しいですよね。「つらいけど今はまだ耐えられるから……」と言う気持ちが、この「大丈夫」には込められています。

 口にする言葉が必ずしも本心ではなかったり、その言葉以上の感情が隠れていたりするのは、役者さんの仕事でも一緒です。役者さんは、“好き”という言葉にそれ以上の“好き”の感情を込める仕事ですが、一方で“大嫌い”という言葉に“好き”の感情を込める事も、案外多かったりします。

 映画『二重生活』を鑑賞しまして、主演の門脇麦さんがそれはまあ魅力的でした。何と言うか、素敵に“もどかしかった”んですよね。門脇さん演じる珠は「思っている事をすべて口に出来ていないのだろうな」と、そう思わされたんです。

 こういう人って少し離れたところから眺めていると謙虚に見えます。すると助けてあげたくなったり、もっと話を聞いてあげたくなったりします。同時に、もっと近付いて仕事のパートナーや恋人になったりすると、やりづらさや寂しさを感じたりもします。相手に迷惑を掛けないようにするという謙虚さは、度が過ぎると自信がないから相手に関われない人にも見えてしまうんですよね。

 

 映画の中でも、菅田将暉君が演じる恋人の卓也は寂しそうでした。一緒にカップラーメンを食べるシーンも、一人で食べるのとあんま変わらないなあと思わされました。孤独を感じたんですよね。

 門脇さん演じる珠は魅力的であり、同時にダメな人だなと思うんですけれど、この“魅力”と“ダメさ”って、実は同じところにあると思っています。“謙虚な人”は素敵ですが、それが過ぎると“卑屈な人”になってしまいますし、“自信家”はいいですが、実力以上に自己顕示をする人は“過信家”になってしまいます。要はバランスが大事なのだと思うのです。

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