菊地成孔の『山河ノスタルジア』評:中国人は踊る。火薬を爆発させる。哀切に乗せて。

菊地成孔『山河ノスタルジア』評

『山河故人』(原題)

 ここでの「故人」は死んだ人の事ではなく、旧知の親友の事です。英題の『Mountains may Depart』の出典は旧約聖書でした(イザヤ書54章)。それは「山は移り、丘は動いても、わが悲しみはあなたから移る事は無い=時間は総てを解決すると言われる。でも時間によっても変わらない物もある」という意味です。これだけで、本作が「長い年月を描いた人生ドラマ」だという事が嫌が応にも迫ってくるようです。

 そして、最初に結論を書いてしまうと、本作『山河ノスタルジア』は10年前の『長江哀歌』という大ホームランによって、インターナショナルな中国人芸術家として、名監督の座を与えられるも、生かさず殺さず、常にダラダラ出演中といった感が拭い切れなかったジャ・ジャンクーの、10年ぶりの文句無し大ホームランなので、どなたにでも責任を持ってお勧め出来ます。

 昨今の日本人は、芸術作品に対して感情や情緒もSNSによってすっかり薄っぺらく成ってしまい、やたら涙腺が崩壊したり、やたら神が降臨したり、貶してるのか褒めてるのかだけが問題となる批評が当たり前の国になってしまいましたが、本作の様な心の動かされ方、というのは、懐かしい人には懐かしいし、新鮮な人にはかなり新鮮でしょう。終劇後の、魂が大地から掴まれている様な、NASAの宇宙船から自分が監視られている様な、お涙頂戴では決してない、奇妙で凄まじい感動は、やはり中国映画でしか得られない物かもしれません。

とはいえ

 本作は「広大な山河が写りっぱなしの、野良仕事の服みたいなのを着た中国人が座り込んで黙っていたり、激しく泣いたりするだけの文芸感動作」などではありません。何せ、最後はSFっちゅうか、近未来の話にまでなるのよ!! 舞台はオーストラリアに移るし!! 透明なiPadとか、未来の学校が出て来るし、最初にワタシがフックされた「99年の中国のディスコのシーン」のヤバさはやはりハンパなかったし。何せ、過去、現在、未来でスクリーンサイズが変わるのです(過去は、1:1・33のスタンダードサイズ、現在は1:1・185のアメリカン・ヴィスタサイズ、未来は1:2・39のスコープサイズ)。ちょっと類例を見ない「大河ドラマ」の作法です。

あらすじだけでも充分面白いとも言えるが

 2時間以上の大作、しかも掛け値なしのヒューマンドラマですが、ストーリーの要約は簡単です。

 1999年から2025年まで、主人公タオ(チャオ・タオ)の20代から50代までを描いた本作は、山西省のフェンヤンという、漢字変換ができないような街(ジャ・ジャンクーの故郷)の歌の上手な小学校教師で、炭鉱街でもあるフェンヤンの、炭鉱労働者であるリャンズー(リャン・ドンジン)と、炭鉱の持ち主であり、若き実業家であるジェンシェン(チャン・イー)という幼馴染2人と楽しく遊んでいますが、やがて三角関係になり、ジェンシェンと結婚して一男を授かります。ここまでが「過去」のパートであり、45分に及ぶアヴァンタイトルなのです。

 「現在」は2014年で、タオに選ばれず、別の女性と結婚したリャンズーは、河北省のハンダン(これまた変換せず)で、出世して炭鉱のチーフと成っており、しかし肺癌になってしまい、故郷のフェンヤンに治療費の工面のために帰郷します。そこでタオが離婚し、親権を取られて、まだフェンヤンに独身(と、愛犬)で住んでいる事、離婚の際の慰謝として授受したガソリンスタンドの事業と、実家の電気店が繁盛している事などにより、ちょっとした富裕層になっている事を知ります。リャンズーはタオから高額の工面をしてもらいますが、そこから一切映画には登場しません。そんな中、タオの父親が亡くなり、タオの子である8歳のダオラー(これは、金の亡者であるジェンシェンが米ドルをもじってつけた名です。近年やっと廃止された一人っ子政策により、兄弟姉妹はいません)が香港から葬儀のために単身やってきます。ダオラーは後妻に懐いており、半分英語で暮らす彼は後妻を「マミー」と呼んで、タオに「マミーなんて、赤ちゃんじゃあるまいし!」と叱られたりしながら二人で葬儀に行きます。ここまでが「現在」。

 「未来」は、2025年で、ジェンシェンはさらに離婚しており、ダオラーは、留学のためにオーストラリアのビクトリア州、南海岸のグレート・オーシャン・ロード近郊に住んでいます(有名なゴールドコーストは東海岸)。ジェンシェンは欲望、そして移民としての差別意識から被害妄想的に半発狂しており、銃やマシンガンを収集して、息子とは一切の交情がありません。そこには言葉の壁もあります。ジェンシェンは英語を覚えきれず、ダオラーは北京語を忘れてしまっています(未来の「グーグル翻訳」がCGで出てきますが、これはなかなかグッドデザインです)。

 この先、台湾映画界の、今や重鎮と呼んでも良い、女優/監督/プロデューサーである、あのシルヴィア・チャンが、「この歳(62)に成っても、恋する女性としての適役があるか」という感じで、何と、ダオラーの学校の中国語/中国史の教師(ミア)でありながら、まだハイティーンのダオラーと恋に落ち(ベッドインもします)、堂々たる美しさと名演技を見せますが、この二人がこの先どうなるかどうか、「とにかくあなたは実の母親に会いに行きなさい」とミアはダオラーに言い残し、ダオラーがグレート・オーシャン・ロード(そこはもう、開発による自然破壊によって、現在有名な「十二使徒の岩」は「七使徒」を経て、未来社会では「三使徒」にまでなっているのですが)で、初めて「タオ」と、自分の母親の本名を呼ぶと、雪の降る真冬のフェンヤン(言うまでもなく同日同時刻ゴールドコーストは真夏)で、二代目の犬と二人暮らしのタオの耳に、その声が、聴こえたような気がして、タオは日々の務めである麦穂餃子づくりの手を休め、犬とともに近所にある歴史的建造物であり、劇中、最初からずっと登場し続けていた「文峰塔」に向かって散歩に出る。

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