荻野洋一の『ルーム』評:“感動させる”演出に見る、映画としての倫理の緩み

『ルーム』が呼び起こす“感動”のイージーさ

 本作のネガティヴな面を論じたが、最後に私が最も心を打たれたシーンについて触れたい。監禁からの脱出に成功し、トロント市内の病院も退院したジョイとジャックの母子が実家に帰宅した日の、夕食のシーンである。ジョイが7年間不在のうちに、彼女の両親は離婚し、実家には母親とその新しいパートナーが住んでいる。離婚して遠方に住む父親も飛行機でかけつけるが、この父親を演じたウィリアム・H・メイシー(『ER 緊急救命室』など)の演技が絶品なのである。

 食事のあいだじゅう、彼は苦しげな目で、帰還した娘を見るが、ジャック──つまり彼の初孫である──を見ようとしない。彼にとってジャックは、愛娘を監禁し陵辱した凶悪犯のDNAを受け継ぐけがらわしい存在なのかもしれない。5歳のジャックには祖父の苦渋を理解できないのが救いであるが、ジョイ、ジョイの母、その恋人、そして父の4人の大人たちのあいだには、非常なるばつの悪さが充満したシーンだった。

 本作は、5歳の子どもが監禁された「ルーム」という小さな世界を出て、真の世界を遅ればせながら知っていく物語であり、青春を奪われたひとりの女の再生へのもがきの物語である。彼らは、彼らの困難を乗り越える。しかしここに、乗り越えられないまま、ひとり置いてけぼりを食った孤独な男がいる。困難を乗り越えるという物語は、感動を呼び起こすのに役立つだろう。しかし、人間はいつも困難を乗り越えられるわけではない。そんな、克服に失敗した存在としてウィリアム・H・メイシーを配することで、本作はきれい事に陥る危険から、かろうじて救われた。異常な監禁スリラーがあまりにもイージーに感動物語に早変わりするための化学調味料から、ウィリアム・H・メイシーは無縁のまま、その苦しみによって、その失敗によって、そのばつの悪さによって、正統なるリアリズムの住人でいることが可能となったのだ。

■荻野洋一
番組等映像作品の構成・演出業、映画評論家。WOWOW『リーガ・エスパニョーラ』の演出ほか、テレビ番組等を多数手がける。また、雑誌「NOBODY」「boidマガジン」「キネマ旬報」「映画芸術」「エスクァイア」「スタジオボイス」等に映画評論を寄稿。元「カイエ・デュ・シネマ・ジャポン」編集委員。1996年から2014年まで横浜国立大学で「映像論」講義を受け持った。現在、日本映画プロフェッショナル大賞の選考委員もつとめる。

■公開情報
『ルーム』
TOHOシネマズ 新宿、TOHOシネマズ シャンテほか全国公開中
監督:レニー・アブラハムソン
出演:ブリー・ラーソン、 ジェイコブ・トレンブレイ、ジョーン・アレン
提供:カルチュア・パブリッシャーズ、ギャガ
配給:ギャガ
(c)ElementPictures/RoomProductionsInc/ChannelFourTelevisionCorporation2015
公式サイト:http://gaga.ne.jp/room/

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