「インディーズは常に死と隣り合わせ(笑)」SPOTTED PRODUCTIONS直井卓俊氏に訊く

スポッテッド・直井卓俊氏に直撃取材
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直井卓俊氏

 スペースシャワーTVにて『フラッシュバックメモリーズ3D』、『劇場版BiSキャノンボール』、『私たちのハァハァ』などの話題作を手がけてきた高根順次プロデューサーが、映画業界でとくに面白い取り組みを行っているキーマンに、その独自の施策や映画論を聞き出すインタビュー連載「映画業界のキーマン直撃!!」。第2回は、松江哲明監督『童貞。をプロデュース』、井口昇監督『片腕マシンガール』、入江悠監督『SR サイタマノラッパー』など、数々の刺激的なインディーズ映画の配給を行ってきた、SPOTTED PRODUCTIONSの直井卓俊氏にインタビュー。インディーズ映画の魅力はもちろん、独自の道を歩んできた自身の経歴から、映画業界のこれからについてまで、じっくりと語ってもらった。(編集部)※メイン写真は、SPOTTED PRODUCTIONSの最新配給作品『友だちのパパが好き』より。

「インディーズだからこそ、企画・配給・宣伝に工夫を凝らさないといけない」

ーーSPOTTED PRODUCTIONSが法人化して5年が経つわけですが、インディーズで続けるのは苦労も多そうです。

直井:それはご想像の通りです(笑)。まず、大きな映画会社とは予算の規模が違います。たとえば「この予算でこれくらいのことをやろう」と考えたとき、理想を実現しようとすると、そのしわ寄せって結局のところ制作側に集中するんですよ。インディーズ映画を大変な思いをして作ったというのを美談のように語る人もいるかもしれないけれど、気軽に企画を立てるわけにはいきません。一方で、企画者側が遠慮していると、面白い作品はできないのも分かっていて、毎回ワクワクしつつ胸が痛いというか……。

ーーそういう意味では、松居大悟監督の『自分の事ばかりで情けなくなるよ』や『ワンダフルワールドエンド』などは、うまいやり方ですよね。アーティストのミュージックビデオと連動することによって、その予算を使って映画を作ってしまうという。

直井:ミュージックビデオが映画のシーンの一部になっていて、後から完全版を映画として公開するというやり方ですね。松居大悟監督とクリープハイプがやってきたことと、音楽と映画を融合するプロジェクトであるMOOSIC LABがタッグを組んだかたちで、ミュージックビデオがそのまま映画の宣伝にもなるし、レコード会社から予算も付いている。レコード会社はミュージックビデオにお金をかけてきたけれど、ここ数年、それならいっそ優れた映画監督と組んで、完全版を映画にするというのはどうだろう、という発想がちょっとずつ生まれきてたんですよね。大森靖子さんのミュージックビデオと連動して作った『ワンダフルワールドエンド』は、彼女がちょうどメジャーデビューする寸前だったということもあり、インディーズ~メジャーになっていくにつれ彼女の周囲の環境も変化してしまって、一度は心が折れかけたんですが、彼女自身や松居監督がすごく意欲的だったこともあり、なんとか実現できました。ミュージックビデオの閲覧数もすごかったですし、映画自体もベルリン映画祭に出品されて評価もされて、結果としてレコード会社も喜んでくれたみたいで……その過程のいろんな苦難は忘れる事にしました(笑)。

ーーインディーズといえども、ただ好きなものを作れればいいわけではなく、きちんと収益化することを考えた上でいろいろとアイデアを出して、面白い作品にするのが大切である、と。

直井:結果を出し続けなきゃいけないというのはメジャーでもインディーズでも一緒ですけど、単純にインディーズだと「コケる」=「死」なんですよ。常に死と隣り合わせ(笑)。あと、僕の周りの監督も、映画は観客に観てもらって初めて完成するという考え方の人が多いですよね。僕自身、配給やり始めた頃組んだ井口昇監督や松江哲明監督の「どうやったら多くの人に観てもらえるか」という熱意に感銘を受けたところは大きいです。予算がないのを逆手にとって、宣伝や配給についても、自分たちで工夫を凝らさなければいけないという。それも、その作品への愛とか理解が必要ですけどね。

「『家族ゲーム』を観て、邦画の面白さに気づいた」

ーーそもそも直井さんは、どうしてこの業界に入ったのですか?

直井:大学卒業後はしばらくずっとフリーターで、古本とかレコードのコレクターみたいな感じでした(笑)。その後、26歳くらいの頃に、たまたまアップリンクという映画会社がスタッフを募集していて、何か色々やっているから面白そうだなと思って受けてみたんです。ちょうど僕の前に入社した人が1日で辞めたこともあって、すぐに働くことになりました。DVDの営業や企画として4年半いたんですけど、当時はDVDが出たばかりだったので、すごく売れる時期でした。TSUTAYAとかタワーレコードとか、あとは問屋さんなどに行って、入荷数を決めてくるという仕事だったんですけど、それがすごく面白かったんですよね。入社して1週間、そして数ヶ月後、と連続で直属の先輩がどんどん辞めていき、入社して1~2年経ったあたりから自分で発売するDVDの企画から考えなきゃいけなくなりました。その中でインディーズ映画とかピンク映画のような、低予算で面白いことをやろうとしている人たちに興味を惹かれるようになって、DVDの販促で上映会のイベントなどを主催するようになったりして。そこでの失敗や成功から、たくさんのことを学びました。

ーーアップリンクはいろいろと伝説も多い会社ですよね。

直井:まあ、小さい会社だったんで基本、社長のワンマンですから。今となっては自分もそっち側の気持ちちょっとわかりますし、アップリンクでの仕事は精神的にすごく大変でしたけれど、その分、鍛えられたなと思います。でも今、アップリンクは活気がありますよね。先日、久々に上映会のイベントでお世話になったんですけど、ビル内にすごく人が出入りしていて、びっくりしました。劇場も3スクリーンあって、下のレストランも繁盛していて。

ーー映画だけではなく、カルチャー全般を手広くカバーしていますよね。直井さん自身は、もともとは映画よりも音楽の方が好きだったんですか?

直井:大学生のころは音楽ばかり聞いていました。バンドサークルみたいなのに入っていたんですけれど、そこの先輩たちがレコードはもちろん、映画とかアニメとかが大好きで、LD(レーザーディスク)のマニアだったんですよ。LDはレコードとサイズも一緒だったので、同じような感覚で集めてたのかな(笑)。ジム・ジャームッシュの『ストレンジャー・ザン・パラダイス』とかが高額でなかなか手に届きにくかったんですけれど、LDプレイヤーさえ持っていれば、先輩からいろいろと借りられたんですよ。それで徐々にLDが売れなくなって価格崩壊が起こって、秋葉原にあった専門店が潰れるので価格破壊するというので、みんなでレンタカー借りて山ほど買ってきました。荷台に揺れるLDの山が忘れられません(笑)。

ーー邦画にハマったのもその時期でしょうか。

直井:そうですね、松田優作マニアの先輩に先述の大量のLDの中から『家族ゲーム』を分けてもらって、観て衝撃を受けました。とにかく気持ち悪いし笑えるし、音も台詞も、横並びのテーブルとかも、とにかく細部まで凝りまくっていてセンスの固まりみたいな映画で。それがきっかけで当時、最もラインナップが充実していた新宿のTSUTAYAに通うようになり、背表紙のATGマークを頼りに片っ端から作品を借りて観ました。山田広野っていう自作自演の活弁映画監督がその店でバイトしていて、かなりマニアックな棚づくりをしていたんですよ。「岸田森コーナー」とかあって(笑)。最近はそういう“いかがわしい楽しみ”がなくなっちゃいましたね。

ーー棚を掘って変なものを見つける楽しみは、たしかに少なくなりましたね。

直井:「この作品とこの作品は同じマークだな」とか、そういうのを頼りに探す感覚なんて、まさにレコードと一緒ですよね。たぶん、そういう風に関連付けたりするのが好きだったんでしょう。だから、ピンク映画のDVDを出すときのイベントで、この映画とこの映画の2本立てで、誰をゲストに呼んで……って考えるのも面白かった。その最初のゲストが林由美香さんだったのを覚えてます。もちろん、客が入らないと胃が痛いんですけどね……。アップリンクでは、とにかく実践あるのみという感じで、そのうちにインディーズ系の監督などとも繋がりができていきました。いまでいうキュレーションみたいなことが楽しかったんだと思います。ただ、毎月リリースしなければいけないのが徐々に辛くなっていって。売上げが下がってきて、それでも毎月4タイトル必要だから、その数を揃えるためだけに出すということにもなっていったんです。それで一度、ちゃんと制作から上映まで関わりたいと思うようになって、アップリンクを辞めました。

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