ツァイ・ミンリャン監督インタビュー
「私の映画は時間への賛美を表現している」ツァイ・ミンリャン監督が明かす自身の映画哲学
「人間とはどういう存在なのかを考えることが、“映画”だと思う」
ーー特別招待作品として出品された『あの日の午後』では、あなたとシャオカンの対話がノーカットで137分にわたって映し出されます。本作はどのような経緯で製作に至ったのでしょうか?
ミンリャン:今回の東京フィルメックスで上映される『あの日の午後』『秋日』『無無眠』の新作3本は、全て前作の『郊遊 ピクニック』の後に撮ったものです。『あの日の午後』の製作は、出版社から『郊遊 ピクニック』に関する本を出したらどうかという話が出たのがきっかけです。その本の中に、私とシャオカンの対話を盛り込んだら、内容がもっと豊かになっていい本になるのではないかと、私が出版社に提案したんです。なぜかというと、実は私とシャオカンは普段そんなに長々と話をしたりはしません。この機会に改めて、彼がいろいろなことについてどう思っているかを知りたいと思いましたし、私も彼にいろいろ言っておきたいことがあったので、このチャンスに対談をしようと思ったわけです。対談をするに当たっては、2人だけで話をしていると、恐らく途中で集中力が切れたりとか、やっぱり今日はもうやめようということになったりすると思ったので、出版社の編集者や作家にも立ち会ってもらいました。撮影した素材には全く編集を加えずに、そのまま作品として成立させました。
ーー確かに無言の時間も多く収められていました。
ミンリャン:無言の時間こそ、重要なのです。私たちは人間なので、無言の時間があるのは当然ですよね。その“無言の時間”や“無意味な時”というのが、私が1番大事にしていることです。ハリウッド映画のように、すべてのことを絶えず観客に説明していくような映画は、商品に成り下がってしまっていると思います。作家の芸術性や自由を表現する作品にはなっていません。
ーー監督の作品は、カメラのフィックスや長回しなどに顕著ですが、映画の中で流れている時間をそのまま観客が体感するような感覚で、時間が非常に重要な意味を持っているように感じます。
ミンリャン:私は、時間を“存在感”だと考えています。最近特に強く思うのが、自分の映画は時間への賛美で、それをひたすら続けているということです。時間というものは限られていますが、誰しも生きている間、とにかくそこには時間があるわけですよね。死んでしまったらその存在感はなくなってしまいますが、呼吸をし続けている限り、時間はそこに存在し続けます。だから、自分はその存在感を映画の中で撮っているんだと思っています。時折、私の映画の中で役者の呼吸の音が聞こえます。特にシャオカンの呼吸の音が強く聞こえるんです。それは、彼が生きていて、そこに存在しているということの表現なわけです。生きている人間への賛美、時間への賛美というものを、シャオカンの存在を通して表現しているんです。
ーーあなたが街で見かけたシャオカンさんを主人公に起用した長編デビュー作『青春神話』も今回の特集で上映されてますね。
ミンリャン:『あの日の午後』のQ&Aで1人の観客が面白い質問をしてきました。それは「当時もしゲームセンターでシャオカンと出会わなかったら、今どういうことになっていたでしょうか?」という質問でした。そこで私は、「今のこの状況より良くないと思います」と答えました。彼と初めて会った時、既に彼は他の人たちとは全然違う雰囲気を持っていました。最も印象的だったのは、“スローである”ということです。それは私にひとつの思索をもたらしてくれました。人間というのは、そんなに早く考えたり行動したりしなければいけないものなのかーー。そして、あるひとつの決まり切ったイメージが人間なのだろうかーー。私が抱いていた人間に対する考え方を、そのように変えさせてくれたのが、彼の存在だったわけなんです。映画というものは、決して物語を語るためのものではありません。そしてまた、商品でもありません。では、映画とは何なのか。それは、人間の生命の瞬間や時間を観るために存在するものです。そのように観ることを通して、人間とはどういう存在なのかを考えることが、映画だと思います。
(取材・文=宮川翔)
■作品情報
『第16回 東京フィルメックス「ツァイ・ミンリャン特集」』
有楽町スバル座にて12月4日(金)まで開催中
公式サイト:http://filmex.net/2015/