噂の『ロッキー』スピンオフ作品、日本最速ロングレビュー
まさかのオリジナル『ロッキー』超え!? 『クリード チャンプを継ぐ男』が血湧き肉躍る傑作な件
驚かされるのは、そんなクーグラー監督から「『ロッキー』の続編のストーリーを考えてみました!」と脚本を渡されたシルベスター・スタローンが、彼に惜しみない協力を申し出たのが、クーグラーが『フルートベール駅で』で成功する前だったという事実だ。つまり、スタローンは、まだ長編を一作も撮ったことがない20代の黒人青年からの無茶振りとしか思えないオファーを、その脚本の完成度一点において信頼し、真摯に受け入れたのだった。その時のクーグラーはまさに、70年代当時ポルノ映画への出演や用心棒として日々の食い扶持を稼ぎながら『ロッキー』の脚本を抱えて各プロダクションをたらい回しにされていた「あの日のスタローン」の再来であり、スタローンはそんな野心と才能以外は何も持っていない青年に、40年間自分が最も大切にしてきた『ロッキー』シリーズの未来を託したのだ。マジで、スタローン男前すぎる。
『クリード チャンプを継ぐ男』が驚異的なのは、そんなスタローン自身のサクセスストーリーをトレースしたかのような主人公ロッキーの最初のサクセスストーリーを、ここで再びまったくフレッシュなものとして蘇らせることに成功していることだ。往年のファンならば観ながらニヤニヤせずにはいられないオリジナル一作目へのオマージュが全編に溢れている一方で、焼き直し作品的な印象は一切ない。なにしろ、ここでクーグラーは(もちろんスタローンの協力のもと)あの長年親しまれてきた『ロッキー』シリーズを、まったく別の観客層に支えられてきたジャンル映画の歴史に接続してみせるのだ。「まったく別の観客層に支えられてきたジャンル映画」、つまり本作は『ロッキー』の正統なる続編であると同時に、監督も主演も黒人による「ブラック・ムービー」の最前線に立っている。
本作がブラック・ムービーの流儀とグルーブ感に貫かれていることは、アメリカ社会(主にニューヨーク)におけるイタリア系移民と黒人の対立の歴史(いわば差別されるもの同士のいがみ合いの歴史だ)を踏まえると、なおさら感動的な融和と言えるが、そんな社会的・人種的バックグラウンドを抜きにしても、本作がノスタルジックな作品ではなく極めてモダンな作品となった大きな要因となっている。権利関係の問題からだろうか、本作ではあのビル・コンティの音楽が鳴らない。その代わり、全編を覆っているのはループ・フィアスコらによるヒップホップだ。観る前にそのことを知ると、おそらく誰もが「ビル・コンティの音楽がない『ロッキー』なんて」と思うだろうが、それにもかかわらず、ここにはオリジナルに比肩する感動がある。「ストレイト・アウタ・フィラデルフィア!」。「フロム・フィラデルフィア・トゥ・リバプール!」。作品の途中から思わずスクリーンに向かってそんなふうに叫びだしたくなる衝動に駆られっぱなし。リバプールのサッカー・スタジアム(エバートンのホームスタジアム)、グディンソン・パークでの最後の試合のシーンでは、涙でスクリーンが滲みっぱなしだった。
リメイク、リブート、スピンオフ……。ここ10数年、ハリウッドは過去の名作を蘇らせる数々の手法を「開発」してきた。しかし、オリジネイター(スタローン)としっかりと手を組みながらも、オリジナルのジャンルを華麗に飛び越えていく、こんなやり方があったとは! 『クリード チャンプを継ぐ男』はその心意気と熱さにおいて、『ロッキー』オリジナル一作目にまったく引けをとらない傑作であると断言したい。
■宇野維正
音楽・映画ジャーナリスト。「リアルサウンド映画部」主筆。「MUSICA」「クイック・ジャパン」「装苑」「GLOW」「NAVI CARS」「ワールドサッカーダイジェスト」ほかで批評/コラム/対談を連載中。今冬、新潮新書より初の単著を上梓。Twitter
■公開情報
『クリード チャンプを継ぐ男』
12月23日(祝・水)新宿ピカデリー、丸の内ピカデリーほか全国公開
出演:シルベスター・スタローン、マイケル・B・ジョーダン
監督・脚本:ライアン・クーグラー
配給:ワーナー・ブラザース映画
(C)2015 METRO-GOLDWYN-MAYER PICTURES INC. AND WARNER BROS. ENTERTAINMENT INC.
公式サイト:www.creedmovie.jp