菊地成孔の欧米休憩タイム〜アルファヴェットを使わない国々の映画批評〜 第1回(前編)
菊地成孔が読み解く、カンヌ監督賞受賞作『黒衣の刺客』の“アンチポップ”な魅力
「ホウ・シャオシェンはフェミニズムを強く意識している」
また、これは同じく台湾人監督で、カンヌでは競い合う立場になったアン・リーに対する牽制なのかどうか、ホウ・シャオシェンはフェミニズムを強く意識しており、「男は生き物としてはつまらない、女性のほうが複雑で独特な感受性を持っていて、そういう面に自分は惹かれるんだ」という趣旨の発言もしています。確かに、『黒衣の刺客』に登場する男は総じてつまらない人間で、女性はキャラクターが豊かです。
アン・リーは2005年、ゲイをテーマにした『ブロークバック・マウンテン』をヒットさせ、その後には『ラスト、コーション』というポルノ映画ギリギリの際どい性描写で話題になりました。しかし、ホウ・シャオシェンはそういう方向には行かず、本作もまったくエロがない。師匠は女性はおばさんだし、女性の殺し屋だというのに殺しのシーンにエロがない。そして、女性性の象徴である大自然が描かれているということにおいて、フェミニスティックな志向が見られます。しかしながら、女性の顔が判別つかない時点でフェミニスティックな映画だとは言えないし、全体的にはサムライ映画を下敷きにしたマッチョな印象。今作では、ホウ・シャオシェンは黒澤リスペクとは見事に出来るが、フェミニズムを「理念としてはやりたいんだけど、実際はできない」ということが分かり、その部分にちょっとした好ましさも感じました。正直な感じですよね。誠実というか。
あらためてまとめると、『黒衣の刺客』はまったく“現代的なお楽しみ”がない娯楽映画で、女殺し屋が主人公のチャンバラという、オタクが喜びそうな設定を使いながら、まったく萌えさせない。だからといって現代人に対しての何らかのメッセージがあるわけでもない。娯楽小説をここまでアーティスティックにブロウアップして、さらにヨーロッパ人が喜びそうな要素が詰め込まれている。ケレン味なく誠実で、良くも悪くも“おじいさん”の仕事ですが、カンヌでの高い評価に今後、世界中のマーケットがどう反応していくか、気になるところです。「現代的なお楽しみ」だけで出来たパフェみたいな『キングスマン』みたいな映画と好対照で、とはいえ僕は『キングスマン』系の未来も若干行き詰まっていると感じているので、尚更ですね。
後半はこちら:【菊地成孔が『ロマンス』に見た、エンタメと作家性の狭間ーー意外なエンディングが示すものとは?】
(取材・構成/編集部)
■公開情報
『黒衣の刺客』
監督:ホウ・シャオシェン 脚本:チュー・ティエンウェン、ホウ・シャオシェン 撮影:リー・ピンビン
出演:スー・チー、チャン・チェン、妻夫木聡、忽那汐里
原題:「刺客 聶隱娘」 英題:「THE ASSASSIN」 原作:「聶隱娘」/ハイ・ケイ
配給:松竹(株)メディア事業部
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