ヒコロヒー、筒井康隆、荻堂顕……『ベスト・エッセイ2026』が映し出す、愛すべき世界

『ベスト・エッセイ2026』レビュー

 いろいろな人が、いろいろなことを書いている。この世には、様々なことがあるなぁ。1冊読み終わって、そのように当たり前のことをしみじみ感じたのが、日本文藝家協会編『ベスト・エッセイ2026』(光村図書出版)である。

 日本文藝家協会とは、小説家やノンフィクション作家、批評家、翻訳家など、文筆を職業とする人たちの団体だ。文芸の団体が毎年、優秀な小説を選び、年鑑アンソロジーを刊行することは、しばしば行われている。そうしたものは、純文学、ミステリー、SFなど、ジャンルごとに編まれることが多く、小説の原稿は短編でもそれなりの枚数になるから、1冊の収録作が1桁であることは普通だし、多くても10数作だろう。

 それらとは違ってエッセイは、1本が短い。また、『ベスト・エッセイ』ではキャリアを重ねた小説家たちが編纂委員をしているが(『ベスト・エッセイ2026』では角田光代、林真理子、三浦しをん、藤沢周、堀江敏幸、町田康)、選ばれるエッセイの書き手は文筆が本業の人ばかりではない。学者のような文化人はもちろん、芸人、映画監督、漫画家、建築家、イラストレーター、声優、皇族など、多岐にわたる属性や職業の人が含まれている。戦争や差別といった社会問題への思いを綴った真面目なものもあれば、日常で遭遇したほのぼのとした出来事、滑稽な話など、硬軟とりまぜた全78本の文章が収録されている。書かれた内容の振り幅はとても大きくて、人間というものは実に多くのことを考えるものだなと、素朴に感心してしまう。

 最初は別々の媒体に書かかれたものが、こうして1冊にまとまると、近いテーマをあつかっていても着眼点や表現が書き手ごとに違っているのが面白い。例えば、よく出てくる話題に体というものがある。ヒコロヒーのエッセイ「うるせえ、お前が進化しろ」では、体重計のだらしない数字から現実逃避するため、彼女はキログラム表記ではなく「以前よりも七ポンド重い」などと書く。青山七恵「もてる力で」では、猫が毛繕いして自分の体の面倒をみているのを真似て、ピラティスの教室に通い出す。猫のおかげで自分の猫背を直したいと思うようになったという経緯におかしみがある。

 かと思えば、グレゴリー・ケズナジャット「仮住まいの体思い回避」では、19歳の時につきあっていた彼女から互いの名前のタトゥーを入れることを提案され、断ったことを書いている。「19歳の自分がタトゥーをよしとしても、40歳の自分がどう感じるのだろうか」と考えたのだそうだ。そして、今の自分にとっては他人のような将来の自分に渡すこの体は、「仮住まい」だと考えるのである。このようにその人特有の発想に出会えるのも、エッセイの価値だったりする。

 また、本書には追悼文に類するものが少なからず載っており、老いについて語ったエッセイも複数ある。高齢化社会を反映しているのだ。筒井康隆「九十年の孤独」では、死んだ友人たちの名前を書き連ねて孤独を表現することも、逆に周辺で生きている人たちを書いて孤独ではないと主張することもできるという。それを筒井は「説話論的な孤独のショウアップだ」とうそぶく。養老孟司「夢見る老人です」は、若者は未来を夢見るが、老人は過去を夢見ると違いを指摘する。なるほど、そういうものかと思う。

 収録作の書き手は、やはり小説家、詩人、歌人などの文芸関係者が多いから、当然、本や言葉が題材のエッセイは多い。豊崎由美「本に活かされ、本に殺された」では、蔵書を断捨離して以来、「幻肢痛ならぬ幻書痛が続いている」と書く。書評を仕事にしてきて、本がいわば体の一部になっていたわけだ。

 石川美南「しなかった話」は、「しなかった話」の蒐集という一風変わった趣味を記している。誰かがなにかをする選択肢があったのに、しなかった。なぜしなかったかを聞くと、その人の個性が表れると筆者は語る。だが、コロナ禍では個人的な「しなかった話」が集まらなかったそうだ。それについて「しない」ことを自ら選択する自由が制限されていたからだと指摘しているのが、興味深い。コロナ禍でどういうことが起きていたのかを、あらためて感じさせる。

 意外な角度から文学が語られてもいる。向坂くじら「ほほえむ水面」は、フランス料理の用語で小さな火でゆっくり煮込むことを「水面がほほえむように」と表現することを嬉しく思ったとして、レシピ言葉と詩の意外な近さへと話を進めていく。井川直子「品書き文学」では「ワカシ(ブリの子)、魚醤マリネ/打ち豆とマッシュルームのレモンバター/とうもろこしの春巻」といった品書きが、一枚一枚綴じてあるのを見て「品書き文学」が存在すると思う。

 なかでもインパクトが強いのは、荻堂顕「金が足りなければ警察を呼ぶ」だ。小説談義が交わされる文壇バーでバーテンダーをしていた彼は、金を持っていなかった初老の客が「次来た時にまとめて払う」などと言い逃れしようとするのに対し、ついに警察を呼ぶ。すると相手は激怒して怒鳴ったのだ。「金が足りなければ警察を呼ぶ。それがお前の文学か!」。どういう理屈なのか、滅茶苦茶すぎて笑ってしまう。このように書き手が身近で放たれた印象的な文字で書き残してくれるのも、エッセイの楽しさだ。

 この本には、いろいろな人が、いろいろなことを書いていて、この世では様々なことが起きている。世界は愛すべきものだ、そう思うのだった。

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