なぜ「魔女になりたい」のか? 伊藤亜和が語る“地上に降りる”生き方「使える魔法は変わっていく」

伊藤亜和『魔女になりたい』(文藝春秋)

 「魔女になりたい」——その言葉が指すのは、いったいどんな生き方なのだろう。伊藤亜和の新刊『魔女になりたい』(文藝春秋)は、「現代の魔女」をテーマにした12篇のエッセイと、ファンタジーとリアルの境界を行き来する1篇のショートストーリーを収めた一冊だ。

 2023年、noteに投稿したエッセイ「パパと私」がX(旧Twitter)で大きな注目を集めた伊藤。デビュー後も文筆家として着実に歩みを進め、活動の幅を広げてきた。一方で、変わりゆく自分や周囲をリアルタイムでエッセイに綴ることに、重圧も感じていたという。その葛藤を抱えながらも本書で新境地を切り拓いた伊藤に、なぜ人は「魔女になりたい」のか、私たちが「魔法」に託しているもの、そして飛ぶことをやめて地上に降りるという選択について語ってもらった。

「私も魔女に」共感を呼ぶ現代の魔女像

伊藤亜和氏

――『魔女になりたい』というタイトルが印象的ですが、どのような反響が届いていますか?

伊藤亜和(以下、伊藤):タイトルを発表してから、「私も魔女になりたい」と反応をくださる方が思っていたよりもずっと多くて。改めて、このタイトルにしてよかったなと思いました。同時に、どうしてみんな魔女に憧れるんだろう、と改めて考えてみたんです。昔は「魔女」というと、しわしわのおばあさんが鍋をぐつぐつ煮ているようなイメージがあったと思うんですが、最近では様々なコンテンツの中で、強くて、自立していて、美しい存在として描かれることが増えた気がしているんですよね。

――私自身も10代のころから友人たちとの間で、凛として屈しない強かな女性に憧れがありました。今考えると、それも魔女願望だったのかもしれません。

伊藤:ただ、そうした魔女像には、女性が背負っているものや、背負わされているものも映っているのかもしれないなとも思っていて。自分が「なりたい姿」と、「女性にはこうあってほしい」という周囲のイメージが、混ざり合っているような。書きながら、そんな感覚を覚えました。

――そんな魔女でいるためには体力がいる、という内容も本の中にあって「たしかに」と思いました。

伊藤:高いヒールを履いて堂々と歩くにも、美しい姿勢を保つにも筋力がいる。気高さや気品が漂う佇まいは、それが日々の健康管理と切り離せないものになっていく。そのための努力自体は魔女のイメージに反しているという不思議な矛盾もありつつ、そうした自分を律する強さも含めて惹かれているように思います。

――少し前までは、か弱さや可愛げのようなものが、女性に求められていたところもあった気がします。一方で、強すぎる女性に対して世間が冷たいこともある。その両方のバランスを取れと言われること自体、またひとつ背負わされている感じがしますね。

伊藤:そうですね。強くあれと言われながら、強すぎてもいけない。そういう幻想のような存在であることも、魔女が背負っているもののひとつなのかもしれません。

「今の自分」から逃げずに書くという重圧

――今回の連載では、現在進行形で続いている友人関係についても書かれていますね。

伊藤:そこは「一番新しい自分を書いた」という感覚とともに、すごくプレッシャーを感じたところではありました。一冊目のころは、ほとんど家族の問題を書いていましたし、他人のことを書くにしても、もう連絡がつかない人や、すでに距離ができている人が多かったんです。だから、かなり勢いで書いていた部分がありました。自分自身のことについても、昔の話なら、「若かったから」とか、「あのころはちょっと頭がおかしかったから」と言って逃げることもできるから。

 でも、今回は今の私と、それほど変わっていないんですよね。だから自分から“逃げ”がきかない。今の自分が抱えている弱さやずるさまで、ちゃんと書けているのか。そういう意味では、自分自身と向き合うきっかけになったと思います。

――連絡がつく方には、事前に「書くこと」を伝えるのでしょうか。

伊藤:伝えますし、書き上がった原稿も見せます。あくまで私の目線で見たことなので、同じ出来事でも記憶が違うことはあるし、「私はこういうつもりで言ったんじゃない」ということもあると思うんです。

 本の中にも登場するのですが、友人の妹尾ユウカに原稿を見せたときに「ここは、私はこういう文脈で言ったんじゃない」と言われました。でも「別に直さなくていい。それでいい」と。別の友人にも、「あなたに見えている世界がそうなら、それでいいよ。私はあなたの書くものが好きだし、作品になれて光栄」と言ってもらって。もちろん、その時はもういちど話を聞いて書き直すんですけど、その言葉にはすごく救われました。

 エッセイは、「“ほんとうの話”であること」を評価されがちです。でも結局、ほんとうは私にとってのほんとうでしかない。そこにはきっと、書き手である私の偏りもある。それでも、私の中のほんとうを書かせてもらい、たくさんの人に読んでもらえるのは、書かせてくれた人たちが、私のエッセイをひとつの作品として尊重してくれたからだと思います。本当にありがたいです。

 今回は、これまでよりも今の「私」に近い本ではありますが、「私」という存在が、これまでで一番薄い本になったようにも感じています。「私は、私は」と、あまり書いていない。その代わりに、周囲の人たちに助けられているんです。

エッセイの重力とショートストーリーの浮遊感

――本作には12編のエッセイとその間で少しずつ進行するショートストーリー「わたしのはなし」が収められています。エッセイの合間に、ショートストーリーに入ると、ふっと視線が現実から引き上げられる不思議な浮遊感があって、焦点が行き来するような感覚でした。ショートストーリーがあったからこそ表現できたことはありますか。

伊藤:ショートストーリーといっても、物語そのものにすごく緻密な設計があるわけではないのでポエムとか短歌に近い感覚で自由に読んでもらえたらと。現実の出来事には、さっき「私にとってのほんとう」という話もありましたが、大まかにはみんな「同じものを見ている」という共通認識がありますよね。そこに、それぞれの視線はもちろんあるけれど、起きたことそのものは、そう大胆には動かせない。それが、エッセイを主戦場とする私にとっては地上に縛りつけられることでもありました。だからショートストーリーでは、おっしゃっていただいたように「現実から浮遊する感じ」や、言葉やイメージから、どこまで飛んでいけるかという「遊び」みたいなものを入れられたのかなと思います。

 つい最近知ったんですけど、ドイツ語で魔女を表す「ヘクセ(Hexe)」という言葉は、中世の「ハガツサ(垣根を越える者)」という言葉が変化したという説があるんですって。図らずも、現実と空想を行き来するこの本はそのイメージと一致したなって思って、ちょっとうれしかったです。

――今いる世界や現実から、少し外へ出ていくイメージにつながっていますね。もともと『ハリー・ポッター』がお好きだとも書かれていましたが、魔法使いや魔女が登場する物語の魅力は、どんなところにあるのでしょう。

伊藤:やっぱり魔法を使って、自分の「こうなれ!」という願いが叶えられるところです。小さいころ、ニコール・キッドマンが出演した映画『奥さまは魔女』を見たんです。その中に、テレビの配線のような、面倒だけれど一つずつやらなければいけないことを、魔法でさっと片づけるような場面があって。そういうめんどくさい現実を整える魔法が使いたいです。

――こんがらがったネックレスを、一瞬でほどく、とか(笑)。

伊藤:そうですね。あとは、みんなに忘れてほしいような都合の悪い記憶を消したり(笑)。でも、『ハリー・ポッター』のなかで亡くなった仲間を埋葬するシーンがあるんですが、そのときハリーは魔法ではなく、自分たちの手で穴を掘って埋めようって言うんです。そう考えると、魔法って「ラクするためのショートカット」としてとらえられているのかもしれません。魔法に託したくない場面も、人間にはあるんじゃないかなとも思います。

――今後、エッセイ以外のフィクションを書いてみたいという気持ちはありますか。

伊藤:あります。以前、絵本(『モプーはヘンダ』)を書かせていただいたことがあるんですが、むしろエッセイより、こちらのほうが表現として自分に向いているんじゃないかと思う瞬間もありました。ただ、私自身「これを伝えたいんだ」っていう強い主張がある人間ではないんです。だから、完全な創作物というよりは、何かを基盤にして作っていかないと難しい気もしています。

――エッセイを書くときは、「この出来事を伝えたい」という気持ちではないのでしょうか?

伊藤:出来事そのものというより、「こういう人がいる」「こういうふうに話す人がいて、私はそれを素敵だと思っている」というところから始まることが多いと思います。そういう人たちのことを書いていくと、自然と何かが浮かび上がってくるというか。一冊にしてみたときに、『ハリー・ポッター』のティーカップ占いみたいに、言えることが見えてくる。ワーッと書いていって「これは何を意味しているんだ?」みたいな(笑)。でも小説はたぶん、その意味のほうから決めて書き始めていく必要があるんじゃないかなって。とはいえ、小説を書く人に聞くと、みなさんそれぞれ方法が違うから、きっとそれだけが正解というわけではないのかなとも思うんですけどね。いつか書いてみたいという気持ちはあります。

魔法の種類は、年齢や経験を重ねるにつれて変わっていく

――本作の終盤には、ご結婚のことや、長い間連絡をとっていなかったお父さまとの電話も描かれています。これまでの10年間、模索しながら浮遊していた時期が、いったん「地に足をつけてもいい」と思える段階に入ったように感じました。ご自身にも、一区切りをつけた感覚はありますか。

伊藤:ありますね。エッセイもショートストーリーも、それまで自分が突っ張っていた部分――「自分の力でやらなければ」「これを果たさなければ」というところから、少し力を抜いて、地上に降りるような終わり方になっています。同い年くらいの友人たちも、みんなそれぞれの形で大人になっている。最近は、「第一幕が終わった」みたいな感じで、いったん幕間に入っているように思います。

 ひとりで自由に飛び続けたい気持ちもあるけれど、現実では、飛び出したままではいられないこともある。家族や友人がいて、地上につなぎ留めるものがある。それを全部拒絶して、頑張って飛び続けることは、私には難しかったということです。

 だからこそ、「これが生活だよね」「これが他者と生きるってことだよね」ということを、リアリティを持って書けたらいいなと思いました。地上に戻ることは、決して悲劇的なことばかりではない。現実の暮らしをやっていくことも、ある意味ではたくましいことだと思うんです。

――私もかつて友だちと「このまま魔女として同じマンションでみんなで暮らそう」というような話をしていましたが、なんだかんだ今は結婚や子育てに奮闘している感じはあります。

伊藤:「みんなで暮らそう」って言いますよね(笑)。

――女性の一生には、こういうことを語り合える時期と、どうしてもできない時期があるのかもしれませんね。でも、この本を読んだ後には、もしかするとまた第二幕に入ったら、同じ話をするのかもしれないという予感に、少し心が温かくなりました。

伊藤:今は、とにかく「戦え」「声を上げよう」という風潮もありますよね。もちろん、それができる時もある。でも、「今はちょっと無理だな」という時も、人それぞれにあると思うんです。戦い続けている魔女への敬意はもちろんありますし、いったん地に足をつけて、今は生活を優先するという選択も、同じくらい良いことだと思っています。

――一方で、地上に降り立った魔女が、ずっとホウキで飛び続けている人を羨ましく思うこともあると思います。「私はもう飛べないかもしれない」「また戦えるのだろうか」という魔女にはどんな言葉をかけたいですか?

伊藤:その決断をしたことで、また使える魔力のジャンルが変わるんじゃないかなと思いますね。使える魔法の種類や、その出力の仕方は、年齢や経験を重ねるにつれて変わっていく。若いころは怒りをエネルギーにしたビームのような魔法だったかもしれないけれど、今度は忍耐を材料にして、時間をかけてじっくり倒せるポーションが作れるようになるかもしれません(笑)。そういうふうに、できることが変化していくことも受け入れられるといいですよね。

――この先もぜひ現代の魔女たちの話を読み続けたいと思いました。今後も書き続けられるイメージはあるのでしょうか?

伊藤:長く書ける題材じゃないかなとは思っているんですけど……わからないですね。何が起きるかわからない。いつも本を完成させるたびに、そう感じています。もともと「こういうものを書きたい」と決めずに進んでいるんです。そう思ってしまうと、それに合うことばかり探してしまうから。なので、これからもなるべくニュートラルな状態でいろんな人に会いたいですね。

■書誌情報
『魔女になりたい』
著者:伊藤亜和
価格:1,760円
発売日:2026年8月27日
出版社:文藝春秋

関連記事