『まったく新しいテクスト分析の教科書』阿部幸大が語る、AI時代の読む力「苦悩するよりも手を動かせ」

 言語化、考察、読書会etc…。今、「読むこと」に熱中する人が増えている。ハッとさせられる感想や腑に落ちるフレーズに心を震わせ、作品を鮮やかに読み解く手さばきに羨望の眼差しを向ける。スタジアムの観客がアスリートの身体能力に魅了されるように、優れた読解の技能に憧れる人は少なくない。では、その技能は、どうすれば手に入るのか。

 そうした人々の格好の教材となるのが『まったく新しいテクスト分析の教科書』(光文社)だ。同書は筑波大学助教であり、人文学を専門とする著者の阿部幸大による「読みの教科書」。累計約8万部のシリーズ前作『まったく新しいアカデミック・ライティングの教科書』(同)に続き、ヒットを記録している。

 「まったく新しい」を掲げる同書オリジナリティとは何か。そして、その礎となる人文学の今日的役割とは何なのか。著者の阿部に聞いた。

人間はいつの時代も「言語化」したい

阿部幸大氏

――『まったく新しいテクスト分析の教科書』(以下、本書)が好評です。人文系の学生だけでなく、ビジネスパーソンにも広く読まれているようですが、本書のヒットをどのように受け止められていますか。

阿部幸大(以下、阿部):シリーズ前作の『まったく新しいアカデミック・ライティングの教科書』も同様でしたが、学生などの若い層に読まれると想定していたので、ビジネス層をはじめ幅広い読者に読まれているのは意外です。いまはビジネス棚に大量に置かれている(笑)。本書は人文学におけるテクスト分析の技法を解説しているわけですが、これはつまり、どんな技能も抽象化して体系化すれば他の分野にも通じる汎用性を帯びるということなのだと思います。

 あとは、前作が「東大生協で最も売れた人文書」とメディアでよく取り上げられました。そのことをアピールした書店でも売れ行きが好調で、「東大ブランド」がまだまだ健在のようです。

――今、多くの人が「読むこと」や「書くこと」の技術を高めたいと思うのはなぜだと思いますか。

阿部:最近は「言語化ブーム」とよく言われますが、「もやもやした感覚を言葉にしたい」という欲求は時代を問わず存在するのだと思います。それこそ「言語化」というキャッチーなフレーズで言語化されたことで、その欲求が可視化されてブームが起こったというだけで。

 ただ、それとは別に、昨今のAIの急速な進化により「自分が読むことの意味」が問い直されているのだろうとも思います。AIが膨大な学習と生成を繰り返す時代において、自分なんかが自力でテクストに向き合い、分析し、言葉にしていくことの意味なんてあるのかと。このように問題を「言語化」して考えているかどうかはさておき、多くの人は、そうした人間の基礎的な読み書きの意味の危機を感じているのかもしれませんね。

なぜ人文学の地位が低下しているのか

――しかし、一方で、本書では「人文学の地位低下」を憂慮されてもいます。テクストを読み、解釈することの人気が高まる一方、その技能の礎である人文学に厳しい視線が注がれる現状を、どのようにお考えですか。

阿部:人文学の地位が低下しつつあるのは世界的かつ複合的な潮流であり、その原因を説明するのは難しいです。ただし、それとは異なる卑近なレベルで、人文学へのイメージが低下しているのも事実だと思います。

 例えば、高校に出張授業に招かれることがしばしばあるのですが、その際に高校生から「“ジェンダー”にはいい印象がないのですが…」といった言葉が自然と出てくる。もし確固たる保守的な信念からそう口にしているのであれば全然いいのですが、SNSなどで見られる漠然とした「人文学」への悪印象からこういうイメージを抱いている人がほとんどです。

 じっさい、問題のある発信をする人文系の研究者も存在しますし、自分もその例外ではないわけですが、SNSなどで流通し形成されている人文学への悪印象は、「人文学」の本来的な仕事とは無関係なものです。本質とは無関係のイメージが人文学の評価を低下させている状況には、それなりの問題意識を持っています。

 ただし、人文学の地位向上を図るにしても「文学は面白い」といった旧来的なアプローチでは無理です。今は学校教育のなかで「人文学」に触れる機会がほぼ存在しませんし、アカデミアでも人文系は各分野のそれこそ「魅力」を発信するぐらいの発想しかできてない。人間がものを考えたり感じたり行動したりすることすべてを探究するのが人文学という知であるという事実に触れる回路が、そもそも閉ざされているわけです。そうした環境で人文学の価値を訴えても世の中に届くとは思えません。

――本書は非常に端的かつ明瞭にテクスト分析の方法を解説しています。内容も200ページ弱と短めです。このシンプルさは人文学を世に届けることを意識した結果なのでしょうか。

阿部:そうした面はありますね。そもそも私自身、長い本を読むのが苦手なので。入門書はまず物理的にとっつきやすい必要があると思います。

 読者を強く意識するようになったのは、大学院生の頃に『暗殺教室 殺たん』(集英社)という中高生向けの学習参考書の英語監修を担当したのがきっかけでした。内容の難しさ以前に、「まず文字数が多すぎる」と何度も修正を求められて、いわゆる「一般読者」に文章を届けるときの心構えが養われました。インテリって、十全に説明すれば読者は文章が長くても頑張って読んで理解してくれるはずだという幻想を抱きがちなんですよね。でも、それでは人文学の価値を届ける以前に、文章そのものが読まれない。

「苦悩するよりも手を動かせ」が習得のコツ

――本書の構成も特徴的です。冒頭で1954年の初代『ゴジラ』のポスターを掲げ、その内容を分析しながら、テクスト分析の技法を解説していきます。そもそも、なぜ『ゴジラ』をテーマに選んだのでしょう。

阿部:私の研究者としての専門は日米文化史であり、そのなかでも戦争が重要なトピックです。まず、その点で『ゴジラ』は分析対象にぴったり。あとは「知らない人がいない」「古びない」というのが条件でした。ずっと前から決まってましたね。

――テクスト分析の技術を高めるには、やはり古典にあたるのが重要ですか。

阿部:そうとも言い切れません。分析するテクストは何でもよいと思います。古典は世間的な評価が確定していますし、往々にして汲み尽くせない豊かさを持っているので、初学者もそれに触れることは大事です。かといって、古典にあたらなければテクスト分析の技術が身に付かないわけではない。自分が関心のある作品や事象を分析対象にするのもよいでしょう。

 ただし、初学者にありがちなミスなのですが、分析対象のテクストに必然性を過度に求めると躓くことが多いです。みんな学生時代は知識や経験に乏しいですから、必然性を感じられる作品にまだ出会えていないこともあります。その逆で、自分の人生や実存に深く結びついた作品は、「ヘタなことを言いたくない」という気持ちが働いて、これまた論じるのが難しい。だから、とにかくいろんなテクストをどんどん分析して、まずは技術を身に付けるのがよいと思います。

――作品への思い入れよりも、まずは技術の習得であると。

阿部:「とにかく手を動かせ」というのは、ややマッチョな思想ですが、とにかく数をやってみないとテクスト分析がどういう営為なのかが全然見えてこないんですよね。で、わかってないのに悩んでしまう。これは本当は悩めてすらいない。本書の読者にも、自分なりに作品を読み解いて文章を書きたいという人がいると思いますが、もはや日常的に触れたテクストぜんぶ分析してやるぞ、ぐらいの勢いで取り組んでみてほしいと思います。

AI時代にテクスト分析は不要になるのか?

――ただ、最近はAIの進化により、従来は人間にしかできなかった精緻なテクスト分析もAIで代替できるのではないかとの見方もあります。

阿部:AIについては、今が過渡期なので何とも言えないところはありますね。少し前に、芥川賞を受賞した作品(九段理江『東京都同情塔』)にAIが生成した文章が使用されていると話題になりましたが、まだまだ可愛いものだった、という時代にすぐなるでしょう。おそらく、私たちより若い世代では、単にAIを道具として使うのではなく、自らの能力そのものをAIで開発するのが当たり前になる。読み書きの技術をAIなしで養ってきた私たちの世代では想像もつかない状況がすぐそこに来ているのかなと。

――となると、本書で展開されているテクスト分析の技法もAIの台頭とともに古びてしまうのではないでしょうか。

阿部:そうですね、すでにAIを使ってテクストは高度に読み解けますし、テクスト分析の方法論そのものが更新されてしまうかもしれない。

 ただ、一方で、本書で「スタイル」と呼んでいるものを備えている文章が、今後も多くの人に支持され、価値を持つという点では変わらないようにも思います。多くの人が指摘していますが、AIが台頭した時代には「誰が書いているのか」「誰が言っているのか」といった発信者の正体がより前景化してくるのではないかと。

――「スタイル」とはテクスト分析において独自かつ一貫している立場や着眼点のことです。本書では、テクスト分析の技能習得の先にスタイルの確立を位置付けています。

阿部:より分かりやすい言い方をすれば、「文章を読んだ瞬間に誰が書いたのか分かる」のがスタイルの確立された文章ですね。「文体」とも言い換えられるかもしれない。ちなみに、本書にはAIで生成した文章は使用していないんですが、それはAIを信用していないからそうするのではなく、そもそもAIには私のスタイルを出せないんですよね。そんなものを自分の文章として出版したいという気持ちがそもそもない。そしてこれは、本を買って自分の文章を読んでくれる人がいることの理由でもある。

 結局のところ、いったんAIが世界を席巻したとしても、またそのなかでの差異が問題になるというだけの話なのかもしれません。そこでは、あえて自分が人力でどういう文章を読んだり書いたりするか、どこに意味や価値を見出すか、という話が回帰してくることになると思います。それはつまり個人の幸福の問題であり、やはり人文学とスタイルの問題にほかなりません。

読み、書きに次ぐ、シリーズ三作目は…?

――本書のあとがきでは、本シリーズは全三巻の予定だと書かれています。前作では「書くこと」、今回は「読むこと」をテーマにされましたが、最後を飾る三巻目のテーマは何でしょうか。

阿部:最後のテーマは最初から決まっていました。「語学」です。書く、読む、語学の三つが、私の活動を支えている三種の神器なので。

――最近は自動翻訳の精度も向上していますし、語学もAIに代替されると言われがちですね。

阿部:先ほどの人文学の意義の話と同じですが、 自動翻訳を使えば訳せるということと、自分があえて語学をやって他言語を身につけることに意味を見出すかどうかというのは、まったく別の問題なんですよね。

 言語はものを読んだり書いたり考えたりする際の基盤です。他言語を学習すると、自らの第一言語を相対化して捉えることになりますし、思考や叙述、さらには感情にさえ変化が生じます。そうした言語を体系的に学習することは、人文学においてどういう意味をもつのか、この問題を次作では展開したいと考えています。

 読み書きも、そして言語もそうですが、これはわたしが「人文学は人間一般についての学なので、その価値が消えることはない」と言っている意味で、本来の「人文学」の基盤です。わたしはその基礎能力を、まさに人文学的に掘り下げることに興味があるみたいです。もしかすると、それが私の書き手としてのオリジナリティなのかもしれません。

■書誌情報
『まったく新しいテクスト分析の教科書』
著者:阿部幸大
価格:2,200円
発売日:2026年7月23日
出版社:光文社

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