歌人・伊藤紺が大事にする“魂が燃えている感覚”とは? 「最近はより怒っているし、怒るべきだと思っている」

伊藤紺『わたしのなかにある巨大な星』(ポプラ社)

 歌集『気がする朝』(ナナロク社)などで知られる歌人・伊藤紺が、自身初となるエッセイ集『わたしのなかにある巨大な星』(ポプラ社)を、2026年4月15日に上梓した。

 社会とうまくなじめなかった自身の性格や経験をまじえつつ「言葉と創作」について真摯につづったエッセイ集で、帯には俵万智が「世界とのズレを全力でキャッチする言葉たちに魅了された」、上白石萌歌が「まあるくて、透きとおっていて、それでいてたしかに燃えている、きれいな色をした反骨」と推薦文を寄せている。

 注目の歌人は、エッセイを書くという行為にどのような意味を見出したのか。そして、伊藤紺が作歌を通してこの世に書き出しているという“魂の論理”とはどのようなものなのか。(編集部)

自分の過去を組み正すことができた

――ずっと浸っていたくなるような、文章のリズムが心地よかったです。『わたしのなかにある巨大な星』は、歌人である伊藤さんにとって初のエッセイですね。

伊藤紺(以下、伊藤):そうですね。もともと書いてみたい気持ちはあって。これまで短歌を通じて、歌集以外にもさまざまな制作や仕事をしてきましたが、どうしても規模の小さなジャンルですから、べつのこともしてみたほうがいいよなとは思ってて。そんなときにポプラ社の辻さんから声をかけていただいて。

――実際、書きはじめてみていかがでしたか。

伊藤:率直に言って、気持ちがいいものではなかったです。伊藤紺としてのキャラクターや身体、バックグラウンドを常に意識しながら文章を書くことが、自分はこんなにもいやなんだな、と驚きました。「エッセイがむずかしい」を書いたのは、そのいやさがピークに達していたときかもしれない。この身体さえ連れていなければもっともっと書けるのに、って葛藤していましたね。

――短歌に比べて、エッセイの「わたし」には、自分性が強く反映されますもんね。そしてその「自分」をどこか物語のように演出しなくてはいけない。

伊藤:でも、自分の過去を納得いくように語れるのはいいなと思いました。たとえば、最初に収録されている「短歌をはじめた日」というエッセイは、自分にとって書く必要があったエッセイで。歌人としてインタビューを受けるたび、短歌を始めた理由を聞かれます。そのたびにそれっぽいことを話して、編集されて掲載されるわけですが、ずっと違和感がありました。適度な尺で、ある程度わかりやすく人に伝えるための「インタビュー専用の理由」だったというか。

――嘘をついているわけではないけど。

伊藤:そう、本当のことではなかった。本当の理由を書くとなると、小学生時代の話から淡々と始める必要があって。結局「短歌をはじめた日」は3000字ほどになったのですが、これが「短歌を始めた本当の理由」の最短バージョンだと思っています。自分のなかから嘘をひとつなくすことができたおかげで、気持ちが少しラクになったというか。自分の過去を組み正すことができた、と思えました。

――組み正す。

伊藤:そんな言葉はないかもしれないけど、それが、いちばんしっくりくる表現ですね。以来、エッセイを書くことに対する抵抗も減りました。誰に聞かれてもいないのに自分のことを語るってすごく贅沢なことなんだなと実感できたし、自分がいやだなと思っていることを組み正していけばいいんだ、と思うことができたから。だから「仕事ができない」とか「みんなはあなたじゃないんです」とか、自分の過去を書いているエッセイには、そういう感慨がある。正しく書けてよかった、と。

――「みんなはあなたじゃないんです」は、就活の最終面接で、伊藤さんが担当者から言われた言葉です。

伊藤:自分はずっと自分のことを賢くて器用だと思って生きてきたんですけど、どうやらかなり賢くなく、不器用であることがだんだんわかってきて。みんなや世界のことも、ある程度理解しているつもりでいたけど、それは自分の論理を他者に適合していただけで、みんな一人ひとり論理がある。そのことを、担当者さんは教えてくださったんだと思うのですが、私自身が本当の意味でそのことに気づけたのはわりと最近だと思います。いまだに世の中のことを全然わかっていないんですよね。

――「人とちがうこと」という学生時代をふりかえるエッセイでも、そうした感覚について語られていますよね。

伊藤:似ているようで、ちょっと違うような気もするんですけど……。小学生のころは、みんなと同じことをしないと仲間外れにされる環境で。それが今思えば意外と深い傷だったんだと思います。中学では、仲のいい友人ができて、自分が着たい服を着たり、なりたい自分に正直でいることができるようになった。その時の友人がギャルだったこともあり、派手さや強さに目覚めたんですよね。したいことをするには強さが必要なんだって。でも、高校でそうではないってわかったんです。強くても弱くてもどっちでもよくて、自分の温度でやりたいことをやればいい。強くないと、クラスとかでは多分バカにされるんですが、バカにされること自体が大したことではないのだと思えるようになりました。

わたしは自分の内部に興味をもてている

――だからでしょうか。エッセイを読んでいると、人と同じことができない、失敗だらけであるということに真正面から向き合いながら、過剰に自分を卑下するところがない。そのままで生きている感じが、読んでいて心地よかったです。

伊藤:ありがとうございます。わたしは自分に興味があるんですよね。一個思っていることがあって、セルフイメージが、「?(ハテナ)」が燃えている感じなんですよ。わからなくて、きれいで、ずっと見ていられる。社会というのはそういう興味深い一人ひとりで構成されているんだと思っていて。その集合体でつくられる流行や、いいとされるもののことはよくわからないぶん、わたしは自分の内部に興味をもてている。ずっと見つめていたいし、それが合っているんだと思う。その「?」を拓き続けていきたいです。

――「?」が燃えているセルフイメージは、いつごろから抱いているんですか。

伊藤:去年ですね。

――意外と、最近ですね。

伊藤:友人で劇作家の山田由梨ちゃんが、自身のことを球体と表現していて。「紺ちゃんもだよ」と言ってくれたことをきっかけに、考えるようになって。そこで行き当たったのが、燃えている「?」でした。自分で自分のことはわからないし、つかみとることはきっとずっとできない。そういう意味での「?」です。

――炎は何色ですか?

伊藤:…………赤ですね。炎も、「?」も。でも今、青のカッコいいから、変えちゃおうかなと迷いました(笑)。でもやっぱり、赤ですね。まっくろな背景に、赤く浮かびあがっている。一人じゃないと見えないものだから、孤独に近い感覚もあるのかもしれないけど、さみしさとか、そういう成分とも違う感じがしますね。

――言われてみれば、伊藤さんの文章にさみしさはあまり感じませんね。もう少し、あってもよさそうなのに。

伊藤:数年前まではどちらかというとさみしがりな面もあったんですけど、今はそういう感じは全くないですね。もっとなんか別のものがある気がする。

――それは、作中にも書かれていた、何かを成し遂げたいというような気持ち?

伊藤:うーん……。怒りとかかな。去年すごくショックなことがあって。それからですね。もともといろんなことに怒っているタイプですが、最近はより怒っているし、怒るべきだと思っている。エッセイの冒頭にも書きましたが、理不尽なことをされたり、侮辱されたときに心の奥で、魂が燃えている感覚がある。それが続いているので、さみしいという感覚はないですね。

――だから、赤い炎。

伊藤:「?」の炎は、怒りの炎とイコールではないですが、自分が頭で考えていることと違う声が、自分の奥底から聞こえてくる感覚があって。といっても、実際には声や言葉ではないです。それを昔は「心の声が爆音」って表現していたんですけど、とにかく強いんです。絶対、こっちを選んだ方がお得だし、ラクなのにと思っても、させてくれない。抗うことができないし、けっきょく、その声に従って選択したほうがいい方向に転がっていくこともわかる。それを最近、魂と呼ぶようになりました。

その人がアクセスできる表現というものがある

――本作の最後に、十五歳ではじめて書いた歌詞が掲載されています。歌詞を書いてきたことも、短歌表現には影響していますか?

伊藤:関係なくはないと思います。短歌をつくりはじめて、初めて「音楽が好き」とは別に「歌が好き」って感覚に気づいたんです。歌詞と音がぴったりあわさったとき、その言葉がもともと持っている表面的な、一番わかりやすい意味が消失して、背後から別の感情が鳴り出す。そんな効果が、歌にはありますよね。その効果がもたらす力を、幼心に感じていたのは確かだろうけど、言語化できるようになったのは短歌をつくりはじめてからですね。

――今作の冒頭には、詩のような表現が掲載されていますが……。

伊藤:あれは、詩というか、『わたしのなかにある巨大な星』というタイトルが思い浮かんだとき補足的に書いたもので、掲載したのは、宣言とか決意表明みたいな感覚ですね。

――魂の発露にあわせて、そのつど伊藤さんの必要とする表現は変わるような気がするのですが、小説は、お書きにならないんですか。

伊藤:高校生のときに一回、小説を書こうと思った日があって。ノートの一ページ目に書いてみて、すぐにやめました。あまりのキモさに。

――何がそんなにキモかったんですか。

伊藤:全部。たぶん、その人がアクセスできる表現というものがあると思うんですよ。わたしはたまたま短歌だったってだけで、人によっては小説やエッセイだったりする。そのことが創作においては、意外と大事で、そのときに自分に開いている扉に出会うことが大きいんじゃないかって思う。今のところ、わたしには小説の扉が開いていなくて、短歌の扉は開いていた。だから短歌をやっているというか。まあ、半開きの扉を残り半分自力で開けるってケースもある気がしますね。今回のエッセイはそうかもしれません。

――一冊にまとまってみて、いかがですか。

伊藤:タイトルとか、装丁とか含めて、このかたちになるべくしくてなったなと思います。人生の話と創作論の話のバランスも、たぶんわたしのなかにあるバランスそのものなんだろうなって。とても満足しています。

――最初は抵抗のあったエッセイという表現を得て、ご自身のなかで変化はありましたか?

伊藤:先ほども言ったように、エッセイは過去を組み正すことができるんですよね。あらゆる表現からこぼれ落ちるものをすくいあげられる懐の深さが、エッセイにはあるなと感じています。今の自分の短歌についての考えを整理できたことで、ひとつ登れた階段がある気もする。次の歌集を楽しみにしていてほしいです。

■書誌情報
『わたしのなかにある巨大な星』
著者:伊藤 紺
価格:1,870円
発売日:2026年4月15日
出版社:ポプラ社

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