国境を越えて読者の心をつかんだ絵本『のらねこノラ』誕生までの12年「諦める気はまったくありませんでした」
「おとなり、ちょっと おじゃましますね」。そんなひとことが印象的に響く、絵本『のらねこノラ』。公園に住む猫のノラと、セーターを何枚も重ねて着たおばあちゃんの、どこか不思議で微笑ましい出会いが、読む人すべての心をじんわりとあたためてくれる。
第25回ピンポイント絵本コンペ(2024年)で最優秀賞を受賞し、デビューを果たすやいなや、2026年にはボローニャ・ラガッツィ賞オペラプリマの部で優秀賞を受賞するなど、国境を越えて読者の心をつかんでいる本作。その背景には、祖母との思い出や子育ての日々、そして12年にわたる創作の積み重ねがあった。
気ままに生きる猫と、そっと寄り添う人との、ほどよい距離感。その“つながり方”の自由さとは――。作者・すげ いずみに、デビュー作に込めた思いを聞いた。
「諦める気はまったくなかった」12年の積み重ねの先に
――『のらねこノラ』に登場するおばあちゃんは、すげさんのおばあさまがモデルになっているそうですね。
すげ いずみ(以下、すげ):はい。見た目というよりは性格的なところで、ふとした仕草や立ち方など、「こんな感じだったな」と祖母を思い浮かべながら描きました。実際に本を読んだ親戚からも「おばあちゃんに見えた」「すごく似てる」と言ってもらえて、うれしかったです。
――長く絵本づくりを続けられて、本作でデビューを果たされました。あらためて、今の率直な気持ちを教えてください。
すげ:本当にありがたい形でデビューさせていただきました。絵本のワークショップに通って、制作したダミー本を見ていただいたりしながら、1年に1作品くらい色付きの原画とテキストを合わせてコンペに応募する、という生活を12年くらい続けてきました。ずっと商業出版を目指して制作を続けてきたので、やっとスタート地点に立てたという気持ちです。
――12年という時間のなかで、気持ちが揺らぐことはなかったのでしょうか。
すげ:諦める気はまったくありませんでした。「来年ダメだったらやめよう」といった発想は一度もなくて。きっと絵本作家になるまでやめられないんだろうなと。ただ、このまま歳を重ねていったときに、「ヨボヨボになったら、どうやって作り続けていけばいいんだろう……」と考えて、少しだけ不安になる瞬間はありましたが(笑)。
――絵本制作に取り組むきっかけになったのは、お子さんを預かってくれた“保育ママ”さんからのひとことだったそうですね。
すげ:もともと絵を描くのが好きで、子どもの持ち物にイラストを描いたり、連絡ノートにちょっとした線画を添えたりしていたんです。当時、子どもが歩き始めたばかりで、スーパーに連れていくと、いろいろな売り場を見て回るんですね。それまで私が抱っこして連れ回している、という感じだったので。自分の意思で大きなうなぎの飾りの前に立って、不思議そうにじっと見つめる子どもの姿が、すごく新鮮でうれしくて。そんな話を保育ママさんにしたら「絵本描きなよ。きっと向いているよ」と言っていただいて。その言葉に背中を押されました。
――今のお話もそのまま絵本になりそうでワクワクしました。そういう意味では、絵本のアイデアは尽きなさそうですね。
すげ:そうですね。子どもを育てながら、絵本になりそうな“種”のようなものは、時々見つかっていたなと思います。
愛猫と祖母、ふたりの記憶が重なって生まれた物語
――そんな“種”のなかから、『のらねこノラ』はどのように形になっていったのでしょうか。
すげ:ノラの物語を作り始めたころには、もう子どもが小学校中学年になっていたので、子育て中の記憶というよりは、飼っていた猫との日常から生まれたものでした。猫を見ながら「猫とおばあちゃんが心を通わせるお話ができたら面白いかも」と思ったのが始まりです。
――初期のダミー本を見ると、現在とは少し違う設定のようですね。
すげ:最初のころは、ノラがもっと猫らしい猫で、おばあちゃんもノラと話すうちに元気になって猫のように振る舞う、という少しユーモラスな設定でした。
――屋根に登ったり、爪とぎしたりしていますね! この威嚇しているシーンも最高です(笑)。
すげ:ありがとうございます(笑)。かつて、祖母と話しているときに、ふと子どものような心があるなと思う瞬間があったんですよね。なので、ノラと出会うことで、心も体も子どものように動けるお話を描いてみようと。
――そこから今の形になったのはどのような経緯があったのでしょうか?
すげ:最初は、おばあちゃんがノラに毛糸の帽子を編んであげたことをきっかけに話すようになっていく物語だったんですが、ワークショップで編集者の方に見てもらったときに「猫って、本当に毛糸の帽子をもらって喜ぶのかな?」という意見をいただいて。そこから猫が実際にしそうな行動を考え直していくなかで、セーターに爪が引っかかるという今のストーリーに変わっていきました。
――猫を飼っていると“あるある”の光景ですよね。ノラの表情もまた絶妙です。左右で目の大きさが変わっているところも可愛らしいです。
すげ:猫って実際はそこまで大きく表情が変わることってないんですけど、いろいろと考えているんだろうなっていうのを感じるので、そういうのが表情で出せたらいいなと思いました。
――また、絵のタッチが物語の温かな雰囲気を演出していますね。どのように描かれているのでしょうか?
すげ:画材は、鉛筆と色鉛筆とアクリル絵の具を使っています。でも、なかなかこのタッチにたどり着くまでには試行錯誤がありました。アクリル絵の具を本体とすると自分の手描きのタッチが活かせず、丁寧に描きすぎると今度は「ラフのほうがよかったな」という仕上がりになっていました。
そんなときに大学の授業で知ったリトグラフという版画を思い出しました。リトグラフはアルミ板にクレヨンなどの油性の画材で直接描いて、化学反応を利用した版画です。画材の特徴がそのまま出せるんです。自分の描く絵のなかでもリトグラフがすごく好きだったという感覚をもとにして、絵の具のにじみとかムラ、鉛筆の線を活かしていくタッチが出来上がっていきました。
くっついたり離れたり――毛糸のように自由で柔らかな関係のかたち
――『のらねこノラ』というタイトルもシンプルで覚えやすいですね。
すげ:おっしゃるように、小さなお子さんもすぐに口にできるようなタイトルにしたいと思っていました。それと、ダミー本には残っているんですが当初、物語の語りだしを「のらねこノラ のらねこノラ おうちがないの のらねこノラ」と、歌のようなフレーズにしていたんです。お芝居のオープニングのような感じで。短くてちょっと口にしたくなる語呂の良さという意味でも、このタイトルにしました。
――おばあちゃんの「ながーく いきていると セーターもね いーっぱいに なるのよ」というセリフが印象的でした。このセリフにはどんな意味が込められているのでしょうか?
すげ:まず、セーターをたくさん着込んでいるおばあちゃんが歩いてきたら面白いなというのもありました。じゃあ「なぜセーターをいっぱい着ているのか」と考えたときに、きっと生きてきた時間がすごく長いから、自分で編んだりしてお気に入りがいっぱいあるのかもしれないな、と。それを「そういう人生だから」と受け入れている。そんな包容力を感じさせるセリフにしたいと思いました。
――モデルとなったおばあさまも、そのような発言をよくされていたのですか?
すげ:そうですね。あまり細かいことを気にせず、わりと「大丈夫、大丈夫」という感じで、私たちに語りかけてくれる印象がありました。どうやら若いころはもっと心配性だったそうなんですけど、私から見た祖母はいつもおおらかな感じでしたね。
――足元を見るとレギンスにパンプスで、すごくオシャレだなと思いました。そうしたところにも年齢を重ねて“おばあちゃん”になった、ひとりの女性を感じました。
すげ:現実にもいらっしゃいますよね。ご年配でもスカーフを巻いて山歩きを楽しむようなアグレッシブで、チャーミングな方が。上品なんだけど、やっぱり“おばあちゃん”という感じもある。おばあちゃんのキャラクターには、そんなどこか育ちの良さみたいなものを持っている人をイメージしました。小さなノラを相手にしても「ちょっとおじゃましますね」と丁寧に声をかけるところもそのひとつ。誰に対してもふんわりと優しくて、何かを楽しむ気持ちを持っている人なんだとわかる、そんなセリフとビジュアルにしたいと考えていたんです。
――ノラがおばあちゃんに手を引かれて歩くシーンでは、行き交う人間の子どもを見つめるノラが印象的です。
すげ:今までひとりで生きてきたんだけど、おばあちゃんに手を引かれてうれしさと恥ずかしさが入り混じっているんじゃないかなと思って描きました。
――個人的には、ノラが最後に名乗るという展開にもグッときたのですが、そこへのこだわりはありますか?
すげ:最初はおばあちゃんに名前を聞かれると「ノラだよ」ってすぐに答えていたんですけど、編集の方に「ノラはそんなに素直に言わないんじゃないか」とアドバイスをいただいて(笑)。たしかに、人間の男の子でも5歳くらいになって、急に「馴れ馴れしくしないで」みたいな顔をされてバリアを作る子もいるなと。ノラはそんなお年頃の男の子だと思ってもらえたらと思います。
――個展では、ノラとおばあちゃんの後日談のイラストが展示されていましたね。ソファに座って一緒に映画を見たり、ごはんを食べたりと、愛しい時間が広がっています。続編の構想はありますか?
すげ:ぜひ何か考えたいなとは思っています。また、ノラのほかにも、自分のなかでまだ形にはなっていないけれど、ブラッシュアップしてちゃんと絵本にしたいと思っているものもいくつかあるので、そちらも完成させていきたいですね。
――あらためて『のらねこノラ』を通じて、子どもたちに伝えたい思いはありますか?
すげ:セーターの毛糸がほつれてしまったのを「たいへん!」とおもしろがってもらってもいいですし、広い公園の絵では「ノラはどこにいるかな?」なんて探してみてもいいですし。とにかく絵本として、まずは楽しんでほしいですね。
そのなかで、ノラとおばあちゃんとの関係性が毛糸のように自由で柔らかいものだと伝わったらいいなと思います。くっついたり離れたり。常に一緒にいなくてもいいし、形が変わってもいい。ときには切れて、離ればなれになるかもしれないけれど、人間関係ってそういうものだなって思うので。いつか誰かとのつながりで「こうじゃなきゃいけないのに……」と考え込んでしまいそうになったとき、「こんなものでいいんだよね」と思い出してもらえたらうれしいです。
■書誌情報
『のらねこノラ』
著者:すげ いずみ
価格:1,650円
発売日:2025/10/16
出版社:ポプラ社