漫画家たちの力を信じてーー週刊青年誌からウェブ漫画誌へ、コミックバンチ25年の歩み
2026年5月、新潮社の漫画レーベル「コミックバンチ」は25周年を迎える。2001年の「週刊コミックバンチ」創刊以来、「月刊コミック@バンチ」、「月刊コミックバンチ」、そして、ウェブ漫画誌の「コミックバンチKai」と、時代に応じて形を変えて“進化”してきた雑誌の“これまで”と“これから”を、プロモーションを担当する新潮社・コミックマネジメント部の部長・榎谷純一氏に聞いた。(島田一志)
漫画家たちの力を信じて
――榎谷さんは編集者出身で、「月刊コミック@バンチ」の2代目編集長も務められていますが、もともとはコアミックス(注・後述)時代の「週刊コミックバンチ」編集部にも出向されていたそうですね。
榎谷:はい。大学時代は漫画よりも小説が好きだったものですから、文芸志望で入社試験を受けていたのですが、なぜか漫画編集者に(笑)。いま思えば、ちょうど「週刊コミックバンチ」創刊のニュースがネットなどで話題になっていた時期でしたが、自分が関わることになるなんて夢にも思っていませんでした。ただ、面接を受けている中で、なぜか漫画のことばかり訊かれるな、とは思っていたのですが(笑)。要は、コアミックスへ出向する漫画要員の新入社員を会社は探していたんですね。
ちなみに、後に「月刊コミック@バンチ」の初代編集長になる里西(哲哉)は、私の1年先輩なのですが、すでにコアミックスでのアルバイトを経て、新潮社からの出向社員の1人として、同誌の編集に関わっていました。私が合流したのは、創刊して少し経ってからのことでした。
――現在の読者の方たちには、少し説明がいるかと思うのですが、週刊時代の「コミックバンチ」は、新潮社の自社編集ではなく、コアミックスという会社が編集を請け負っていました。現在は「月刊コミックゼノン」を編集・発行している会社です。
榎谷:そうですね。もう少し補足すると、コアミックスは、「週刊少年ジャンプ」(集英社)の元編集長・堀江信彦さんが中心になって、漫画家の原哲夫先生、北条司先生らと立ち上げた会社です。当時のコアミックスは編集のノウハウや漫画業界の人脈はあるけど、雑誌や単行本の販売経路は持っていなかった。逆に、新潮社は、漫画のジャンルに興味はあるけれど、それを実際に作るノウハウがなかった。つまり、そうした両者の求めているものを補い合えたのが、「週刊コミックバンチ」という雑誌だったんです。原・北条両先生のネームバリューもあって、かなりの好スタートを切れた印象があります。雑誌本体や新規の単行本だけでなく、『北斗の拳』(原哲夫)、『キャッツ♡アイ』、『シティーハンター』(北条司)の廉価版コミックスも飛ぶように売れました。
――堀江信彦さんは「週刊少年ジャンプ」が歴代最高部数の635万部を達成した頃に編集長を務めていたわけで、誤解を恐れずに言わせていただければ、コアミックスは、良くも悪くもイケイケだった頃の“ジャンプ流”と言いますか、おそらくは「編集部主導」のスタイルだったのではないかと思うのですが。
榎谷:まあ、そうなりますかね(笑)。とは言え、他の編集部を知らないわけですから、入社時は特に違和感はありませんでしたが、徐々に仕事を覚えていくうちに、もう少し「ジャンプ」っぽいノリの作家ではない、“外”から連れて来た作家や、新潮社らしい作家でヒットを出したいと思うようになりました。
もちろん、雑誌の基本的なターゲットは、原先生や北条先生の漫画が好きな人たちでいいんです。それが8割くらいだとすれば、後の2割に目を向けるのが、自分の役割なのかなと、『ブレイブストーリー 新説』(原作・宮部みゆき/漫画・小野洋一郎)を担当させていただいた頃から思い始めました。『人間失格』(古屋兎丸/原作・太宰治)は、その流れで起こした作品です。後の月刊化の際も、1つの方向に縛られず、いろんなジャンルの漫画に挑戦すべきだと思ったものですが、その考えの原点はこの頃からあったんですね。
堀江さんがよく言っていたのが、「漫画がヒットした場合の手柄は漫画家のものだけど、失敗したら編集者の責任だ」ということで。おっしゃるように、「週刊コミックバンチ」は、編集部主導だと思われがちで、実際そういう面も大きかったとは思うのですが、堀江さんたちが信じていたのも、結局は漫画家さんの力なんだと思います。そのことは、編集の現場を離れたいまも忘れないようにしています。
「月刊コミック@バンチ」始動
――2010年、新潮社はコアミックスとの業務提携を解消し、「週刊コミックバンチ」は休刊。コアミックスは同年10月、徳間書店と組んで「月刊コミックゼノン」を創刊することになります(注・現在同誌は自社発行)。一方、新潮社は、「バンチ」の名を残し、「月刊コミック@バンチ」を翌年の1月に創刊することになります。この時、榎谷さんは副編集長でした。
榎谷:はい。編集長の里西もそうだったと思いますが、実は寝耳に水といいますか、現場の人間としては、突然コアミックスとの提携解消を聞かされた次第でして。ただ、当時、私と里西が担当していた作品、『ウロボロス―警察ヲ裁クハ我ニアリ―』(神崎裕也)と『BTOOOM!』(井上淳哉)がブレイクしつつあったんです。ここでやめるのはもったいないし、両先生にも申し訳ない。それで、神崎先生と井上先生に、「もし新雑誌を創刊するなら、続けていただけますか?」と訊いてみたところ、「もちろん、やらせていただきます」とのことで。嬉しかったですね。だったら、やるしかないですよ。その他にも、古屋兎丸先生、藤栄道彦先生など、賛同してくださる漫画家が何人もいて……。
とは言え、やるからには早い方がいい。上記の作品以外ラインナップがほとんど決まっていない中、ひたすら、週刊時代にはできなかったものを詰め込もうと思いながら仕事をしていました。
――井上先生・神崎先生ともに、骨太なエンターテインメントの描き手で、その路線は成功したように思いますが、その一方で、「月刊コミック@バンチ」発の新しい企画の中には、週刊時代にはあまりなかった、女性読者を意識したような作品も増えていったように思います。これは初めから意図したものでしたか?
榎谷:青年誌でしたから、基本的には、『BTOOOM!』や『ウロボロス』が好きな男性読者をターゲットにして始めたはずです。でも、いざスタートしてみれば、『GANGSTA.』(コースケ)や『軍靴のバルツァー』(中島三千恒)など、男性にも女性にも広く読まれるヒット作品が生まれた。これは想定外の出来事でしたが、ならばもう少し最初から女性読者に振った作品も始めてみようかということで、『いつかティファニーで朝食を』(マキヒロチ)や『うどんの国の金色毛鞠』(篠丸のどか)が開始。これらもまたヒットしました。
個人的な話で言えば、2016年に「ゴーゴーバンチ」という増刊の編集長を任されることになったのですが、そちらの看板作品の1つで、後にアニメ化・ドラマ化もされた『鹿楓堂よついろ日和』(清水コウ)なども、最初から女性読者を意識した作りになっています。
ただ、やはり、基本的には、まずは「『バンチ』は青年コミック誌である」という前提があった上で、面白いものを描きたい、という情熱を持った作家さんがいて、それに編集者が応える形で、いろいろな個性的な作品が生み出されていったように思いますね。
書店員の力
――「月刊コミック@バンチ」創刊時、全国の書店員の方々の協力もかなりあったとか。
榎谷:創刊時に限らず、いまも書店員の方々には助けられています。週刊時代は目先の仕事に追われて、営業的な仕事にまではなかなか手が回りませんでしたが、とにかく新創刊にあたり、現場の書店員さんたちと密な関係を築いていこうというのは、編集長の里西の方針でした。『BTOOOM!』、『ウロボロス』の単行本は数巻出ている状態でしたけど、それ以外の作品は未知の部分が大きく、書店員の方々もどう展開していいかわからなかったと思うんです。
そこで、営業部とも相談して、全国の書店員さんを集めて親睦会を開いたり、実際に編集者がお店に足を運んでゲラのコピーを読んでもらったりということを積極的にやらせていただきました。単行本が出たら著者と一緒に書店回りをして、サイン本を作ったりも結構やりましたね。
その結果、「バンチ」を応援してやろうじゃないか、という書店員さんの数も徐々に増えていって。残念ながらいまはあの頃よりも書店の数が減り、さらに電子書籍が台頭している時代になりましたが、それでも私は紙の本がまずあってこその出版事業だと考えています。
――とは言え、比較的早い段階から、「@バンチ」編集部はきちんと電子媒体もフォローしていますよね。たとえば、2013年、本誌の刊行と並行して、ウェブ漫画サイトの「くらげバンチ」が立ち上がっています。
榎谷:「くらげバンチ」は、当時、私と一緒に副編集長を務めていた折田(安彦)主導で始まったサイトです。週刊誌の頃と違って、作品の発表の場が月刊誌だけになった時、自由になったことが多い反面、窮屈になった部分も少なからずありました。具体的には、「月に一度」という以前よりは緩くなった刊行ペースや、限られたページ数などですね。
そこで、もっと広い層の読者に向けて、ウェブでの発信も積極的に行っていこうと考えるようになったのです。たしかに、いま思えば、ウェブへの展開は、業界的に見ての早かった方だと思います。そのおかげか、『働かないふたり』(吉田覚)や、『お前はまだグンマを知らない』(井田ヒロト)、『少女終末旅行』(つくみず)、『山と食欲と私』(信濃川日出雄)など、ヒット作も生まれました。SNSなどで話題になり、速いスピードで広がっていった。最終的には『極主夫道』(おおのこうすけ)という最大のヒット作も生まれました。
――本誌に話を戻しますと、2018年には、誌名から「@」がとれて、「月刊コミックバンチ」と改名(新創刊)。2024年に同誌は休刊し、その後、「コミックバンチ」の名は、ウェブ雑誌の「コミックバンチKai」に受け継がれました。紙からウェブへ、という流れは、やはり時代の要請でしょうか。
榎谷:さっき言った「くらげバンチ」を立ち上げた時の話と似ているのですが、やはり月刊ペースで、限られたページ数の中で作品を発表していくことと、今後、紙の雑誌を売り伸ばしていくことの限界が見えてきたことが大きかったです。ただ、そういうネガティブな理由だけでなく、編集者や漫画家が作りたいと思う漫画がさらに増えてきたことが一番の要因でした。月刊化から10年以上経ち、新人も続々と育ってきていましたし、「バンチ」で描きたいという他誌の作家さんも増えていた。ウェブに移行するならいましかないだろうという判断でした。
――客観的に見ていて、いろいろな紙の漫画誌が、マイナス要因で、休刊したりウェブに移行したりする中、「コミックバンチKai」の創刊だけは、ポジティブな印象を受けました。
榎谷:それはまだ紙の本誌が元気なうちに、スパッとウェブに移行したからかもしれませんね。『怪獣自衛隊』(井上淳哉)、『応天の門』(灰原薬)、『死役所』(あずみきし)、『「子供を殺してください」という親たち』(押川剛/鈴木マサカズ)など、「月刊コミックバンチ」最終号の段階で、ヒット作品が多数揃っていました。だからこそ、いましかない、と決断できたとも言えますね。
バンチらしく自由な漫画作りも大事に
――ここまでの話の繰り返しになるかもしれませんが、漫画に限らず、出版物はいま、紙から電子へと徐々に移行していっています。もちろん紙の本がいますぐ絶滅することはないかと思いますが、マネジメント部の立場からでも、編集者の立場からでもかまいませんので、この時代をどうサヴァイブしていこうとお考えですか?
榎谷:まあ、後ろ向きになっても仕方ないので、手探りではありますが、前向きに行くしかありません。たしかに、昨今、紙の本が売れないだの、若い人たちが漫画を読まなくなっただのと言われていますが、むしろ、一出版人としては、“本物”かどうかが問われる、面白い時代になったような気もしています。
繰り返しになりますが、週刊時代から「コミックバンチ」は、漫画家の力を信じて成長させてもらってきた。そして、書店員さんや読者のみなさんの支えもあって、一緒に大きくなってきた。マーケティングで漫画を作ったり、いま他所で売れているジャンルに追従することもときには必要かもしれませんが、そういうことと両立しながらも、今までのバンチらしく自由な漫画作りも大事にしてほしいと思っています。これは現場を離れたいまだからこそ見えてきたことですが、「コミックバンチKai」も「くらげバンチ」も、さまざまな漫画が共存している稀有な媒体だと言えるかもしれません。
ちなみに、近年のヒット作で言えば、『魔王城の料理番-コワモテ魔族ばかりだけど、ホワイトな職場です-』(ワイエム系)の単行本がもうすぐ累計100万部に達しようとしています。『魔法医レクスの変態カルテ』(元三大介)も同じくらい売れている。それと、『訳アリ心霊マンション』(ネブクロ)も勢いがありますね。
今年に入ってからは、『死体担ぎのネム』(選分つかむ)と『マイペースと歩く』(三本阪奈)、『成仏させてよ!』(百地元)の3作が好調で、重版しています。
『おひとりさまホテル』(マキヒロチ)や『ディノサン』(木下いたる)、『Artiste』(さもえど太郎)など、「月刊コミックバンチ」から「Kai」に移籍したヒット作のこの3作もまだまだ調子がいいですし、個人的に映像化してほしいと期待しています。
――それでは最後に、読者の方々へひと言お願いします。
榎谷:「週刊コミックバンチ」時代から読んでくださっているという方や、「くらげバンチ」で「バンチ」の存在を知ったという方など、さまざまだと思いますが、みなさんの支えがなければ、25年ものあいだ、漫画を作り続けてこられなかったと思います。ありがとうございます。
今後もしばらくは、紙と電子の本が共存する時代は続くと思いますが、漫画は漫画。これからも漫画家さんの力を信じ、自分たちが面白いと思える作品を発信していきたいですね。また、原画展やイベントなど、編集部と読者をつなぐ“場”も積極的に作っていこうと考えています。「コミックバンチKai」と「くらげバンチ」発の、新しい時代の新しい漫画にご期待ください。
(2026年4月9日、新潮社にて収録)