電気グルーヴの“もう一人のキーパーソン”とは? 椎名基樹が振り返る、オールナイトニッポンと90年代サブカルチャー
1991年から1994年まで放送された深夜ラジオ番組「電気グルーヴのオールナイトニッポン」。石野卓球、ピエール瀧のシニカルでナンセンスな笑いに溢れたトーク、仲間たちとの悪ふざけギリギリの企画、さらに先鋭的なテクノを紹介するコーナーもあり、90年代のサブカルチャーを代表する伝説的番組として語り継がれている。
書籍『オールナイトロング —私にとっての電気グルーヴのオールナイトニッポンとその時代—』は、石野、ピエールの静岡時代からの後輩で、電気グルーヴの前身バンド「人生」のメンバーにして、「電気グルーヴのオールナイトニッポン」の放送作家見習いだった椎名基樹の回顧録。番組にまつわる話はもちろん、電気グルーヴの結成からブレイク時期の貴重なエピソード、90年代のオタク界隈やレイヴカルチャーなどについても詳細に記述されている。そのすべては現在と地続きであり、特にサブカルチャー好きにとっては必読の1冊と言っていい。
90年代のサブカルとは何だったのか? 第3刷の重版も決まった本書を、驚異の記憶力とリサーチ力で書き上げた椎名自身に語ってもらった。
静岡時代から際立っていた石野卓球
——「電気グルーヴのオールナイトニッポン」に関するヤバすぎるエピソードはもちろん、「人生」から「電気グルーヴ」になっていく過程、初期の「WIRE」(石野卓球主催のテクノイベント)など「そうだったのか!」の連続でした。80年代後半~00年代前半のカルチャーの貴重な記録だと思いますが、まずは執筆動機から教えてもらえますか?
椎名基樹(以下、椎名):双葉社さんから「どうですか?」と依頼をもらったからなんですけど(笑)、書いてるときから「これは(本にする)意義があるな」と思ってました。この本で描かれている時代は、大衆文化が狂い咲きした、振り返ってみると、本当に奇跡的な時代だったので。
ーー細かいところまで、本当によく覚えていて、びっくりしました。
椎名:書いてるうちにどんどん記憶の引き出しが開いていきました。静岡で「人生」の活動をしていた、高校の頃の記憶もすごく鮮明に残っていて。先日会ったときに、瀧さんも言っていましたが、高校生のこの時期、バンドメンバーで夜遊びするようになって、新しい世界が開けていくのが新鮮で、ほんとに楽しかった思い出があります。電気グルーヴの前身バンド「人生」の、静岡時代の思い出も、たくさん本に記してあります。
——本を拝読してもわかりますが、石野さんは当時からメンター的な存在だったんですね。仲間に最新のカルチャーを伝播していく存在というか。
椎名:特に音楽と「ガロ」(1964年に青林堂から創刊された伝説的な漫画雑誌)ですね。僕はぜんぜん音楽に詳しくなくて、打ち込みの音楽の可能性みたいなこともわかってなかったんですけど、石野さんが「すごいだろう」っていろいろと聴かせてくれて。
——椎名さん自身も「正露丸X」というパンクバンドをやっていて、その後、人生に加入。本のタイトルにもなっている「オールナイトロング」は人生の代表曲です。
椎名:「オールナイトロング」は、高校時代に石野さんが作った曲です。石野さんが、多重録音機で宅録した音源を、カセットテープで流してライブをしてました。この間、久しぶりに「人生」のCDを聴きましたが、アナログシンセの音がすごく良くて、やっぱり本格的ですよね。
上京後の日々と「オールナイトニッポン」の舞台裏
——人生がナゴムレコード(インディーズレーベル)からリリースすることになり、メンバーが揃って上京。後輩だった椎名さんも1年後に東京に来たわけですが、当時の状況はどうだったんですか?
椎名:石野さんたちがどんな感じだったかはちょっとわからないんですけど、たぶん意気揚々だったんじゃないですか? 東京に行くってだけでテンションが上がるというか。自分も「死にたいぐらいに憧れた~」まではいかないけど(笑)、どうしても行きたかったので。上京して、何かが変わったわけじゃないんですけどね。ほとんどが日常だし、たびたびライブに行けるほどの経済力もなかったので。ただ、より個性的で面白い人と、出会えるようになった事は間違いないと思います。
——ネットも携帯もない時代だから、直接知り合うしか方法がなかったですからね。その後もいろんなことがあり、電気グルーヴが結成され、「オールナイトニッポン」のパーソナリティに抜擢されます。90年代のラジオ局の様子も詳細に書かれていますが、当時のラジオマンの体育会系のノリがヤバいですね。しかも椎名さんはお金をもらっていなかったという……。
椎名:仕事を教えていただいて、感謝なんですけど、しんどい思いはしましたね。ただ放送作家の仕事とはこんな感じだよ、と言うことを書き留めたほうがいいと思って書きました。放送作家の見習いなんて何も生み出してないし、「ギャラはありません」というのも当然かなと思います。ただ、当時、雑誌のライターやり始めていて、そっちはちゃんとお金もくれるし、人間扱いしてくれるので、どうしても比較してしまいましたね。
——「電気グルーヴのオールナイトニッポン」は様々な名物コーナーがありましたが、椎名さんが都内の様々な場所から、ニッポン放送まで走って戻ってくるっていう企画(「椎名基樹の深夜の使いっ走り」)もありましたが、これって楽しかったんですか?
椎名:楽しいわけないですよ(笑)! 東京に出てきたばかりで、上野公園とかに連れていかれても「ここ、どこ?」という感じで。ニッポン放送までの行き方や距離もわからないし、よくたどり着いてたなって思いますね。タクシーに乗ってるときに、若者がいきなり近づいてきて、窓をドンドン叩かれたこともあって。あれは怖かったですね。
——「平成新造語」「ギブ&迷惑」などの名物コーナーについても詳しく書かれていて。そしてなんといっても石野さん、瀧さんのトークのすごさですよね。下ネタもですが、今だったら絶対放送できないものも多かったと思います。
椎名:「オールナイトニッポン」の他のパーソナリティのこともイジってましたね。今回本を書くにあたって、当時の放送を聞いて「こんなに悪口言ってたの?」ってビックリしました。
——「電気グルーヴのオールナイトニッポン」は1994年に終了。2023年には「オールナイトニッポン55周年記念 オールナイトニッポン55時間スペシャル」内で一夜限りの復活を遂げました。
椎名:あの放送もすごかったですね。瀧さんが留置所のレポートをしてましたけど、あんなこと公共放送の歴史の中で初めてのことじゃないかな。
「オタク」≒「ヒッピー」だった?
——この本のなかでは「オタク」についても詳しく書かれています。
椎名:「オタク」は、この時代を最も象徴するキーワードでした。オタクの象徴的な存在だった宅八郎さんについても、本の中で詳しく書きました。宅さんは「電気グルーヴのオールナイトニッポン」の最多登場ゲストなんですよ。当時、彼が出版した『イカすおたく天国』の出版記念パーティーは、東京の最先端スポットだったクラブ「ゴールド」で行われて、石野さん、瀧さんも出席していて。僕も「テレビブロス」の記者として取材してたんですけど、漫画家の荒木飛呂彦さんがいらっしゃって、さすがめちゃくちゃカッコよかったです。あんなに豪華な出版パーティーが行われていたのだから、サブカルチャーの持つパワーが、今とは全く違った時代でした。
——当時のサブカルチャー、オタク文化が、その後の世代に与えた影響も計り知れないですよね。
椎名:90年代サブカルは、「無駄なもののなかに価値がある」ということだった気もして。今はコスパ、タイパだから、そこは真逆ですよね。「オタク」という言葉には、ちょうど60年代の「ヒッピー」と同じように、人生に対する態度が込められていたように思います。今は、サブカル、オタクと言うものは、アニメとアイドルと芸人だけになってしまった感じですね。
——音楽のことで言えば、セカンド・サマー・オブ・ラブ(80年代後半にイギリスを中心に起きたダンスミュージックのムーブメント)に関する記述も興味深かったです。
椎名:その経験は自分にとってもめちゃくちゃ大きいし、まだ降りてるつもりもないんですけど(笑)。「トランスの野外イベントが、日本は世界的に見ても盛り上がっていたんだよ」という事も書き留めておきたかったです。この本は、電気グルーヴと「電気グルーヴのオールナイトニッポン」の本であると同時に「セカンド・サマー・オブ・ラブ」の本であると思ってます。電気グルーヴの2人や、僕も含めて、このムーブメントに身を焦がした体験と、あの熱狂に夢中になった人間の、その後の顛末の話です。日本において、世界と同時進行で楽しめた最先端のカルチャーって、そんなにないと思うんですよ。
ーー石野卓球さんが主催したテクノイベント「WIRE」も今や伝説的ですよね。
椎名:石野さんが立ち上げた「WIRE」はテクノのお祭りでした。1年に1回、友達がみんな集まって。1999年に始まって2013年にいったん終わったんですけど、自分たちは「ずっと続く」とどこかで思ってましたね。「WIRE」が終了した時、自分の中のある季節も終わったと実感しました。
静岡時代のもう一人のキーパーソン
——石野さん、瀧さんとは00年代以降もずっと交流があったんですか?
椎名:石野さんとはあまり会ってない時期もありました。「WIRE」で挨拶するくらいだったんですけど、会うときは今でも緊張しますね。日常でも「そこまでツッコみますか?」と思うくらい厳しいので(笑)。瀧さんとはわりとずっと会ってましたね。瀧さんはピエール学園という野球チームを持ってるんですけど、僕は初期からのメンバーなんですよ。最近はあまり試合に出てませんが、一応今も所属していて。瀧さんくらいの大きい旗がないと、チームが30年も続かないだろうし、瀧さんにとっても大事な場所だと思うんですよね。メンバーは仕事にしがらみがない人たちばかりだし、ホッとできる場所なんじゃないかなと。
——ちなみにお二人は、この本を読まれてるんですか?
椎名:はい。石野さんもすぐに電話をくれて、「イトチューのバカな功績を書き残したのは偉い」と言ってくれて。瀧さんは、エピソードのディテールの部分で、僕の知らなかったいいネタを提供してくれて、書く前に言って欲しかったと思いました。
——イトチューさんは、静岡時代からの仲間で、石野さん、瀧さんを引き合わせた人物。残念ながら亡くなられましたが、この本のもう一人の主人公と言っていい存在なのかなと。
椎名:イトチューは、とにかくハチャメチャだったんですよ。書きたいことは山ほどあったけど、いちばん書きたいことはヤバすぎて書けませんでした。高校のときから音楽にすごく詳しくて、石野さんとは違ったセンスがあって。石野さんとイトチューは、僕らにとっての文化的なメンターだったんです。イトチューに対しては、僕らの周りでは、怖い人という印象を持ってる人もいると思うんだけど、僕にはすごく優しかったんですよ。一緒に韓国旅行に行ったときに、「寒いから、これ貸すよ」ってマフラーをかけてくれました。
——80年代の中頃の静岡に、石野さん、瀧さん、イトチューさんという才能溢れる人たちが揃っていたのは、よく考えるとすごいことですよね。
椎名:ジョン・レノンとポール・マッカートニーみたいな感じだよね。そういうことって、たまに起きるじゃないですか。大泉洋さんたちの劇団(TEAM NACKS)とか。面白い人や才能のある人たちが同じ場所に集まるっていう。神の差配としか思えない……『神の悪フザケ』(漫画家・山田花子の代表作)ですね。
——電気グルーヴが現在も日本を代表するテクノグループとして存在しているのも、素晴らしいことだと思います。この本の最後には、2025年のニューオーダーの来日公演にゲストとして登場した電気グルーヴのライブの様子が描かれていますね。
椎名:高校生の時、石野さんはニューオーダーに夢中になって、僕らに、彼らのレコードを聴かせて回っていたんですが、その情熱が、あんなに素晴らしい会場で共演して結実するなんて、奇跡を見るようで、僕にとっても嬉しかったです。あと、今電気グルーヴのライブって「FLASHBACK DISCO」がキラーチューンなんだ! とか新鮮でした。
——『オールナイトロング —私にとっての電気グルーヴのオールナイトニッポンとその時代—』を通して、今の若い世代に伝えたいことは?
椎名:伝えたいことは特になくて、「こういうものがあったんだよ」というだけですね。「電気グルーヴのオールナイトニッポン」やセカンド・サマー・オブ・ラブの様子はもちろん、「名曲喫茶クラシック」(東京・中野にあった喫茶店)のこともそうだけど、マクドナルドの“サンキューセット”とか(笑)。どうでもいいことなんだけど、とにかく書き残しておこうと言う、変な使命感が書いてるうちに強くなってきました。
■書誌情報
『オールナイトロング ―私にとっての電気グルーヴのオールナイトニッポンとその時代―』
著者:椎名基樹
価格:2,750円(税込)
発売日:2026年2月18日
出版社:双葉社